また久しぶりの記録になりましたが、今日は将来の自分のために残しておきたい記録です.

作業仲間の定例会合で発表デビューをしました.全国からプロの作業者達が集まる年一度の会合で、私のアイディアを全否定する人もいる場所なので、とても緊張しました.

今から一ヶ月前には腸炎が胃炎に転移するという初めての経験をしながら原稿を準備しました.その後、知人や先生方にコメントをお願いしたところ、素晴らしい鋭い指摘をたくさん頂いて、鍛冶屋が鉄を打つように、文章が洗練されていきました.

そして迎えた当日.朝から緊張していたのですが、近所の大きな公園のテニスコートの前で大声で叫んで緊張を和らげ、原稿を読む練習をしたり.その後、満席の新幹線自由席車で立ったまま、傍若無人に一人原稿の読み上げを続け、降りてからは、駅前のデパートの屋上でまた一人原稿を読み上げてました.

会場に行くと、私の大切な仲間や先輩が、私の発表を見守るためにわざわざ新幹線で来てくれていました.本番は気がつけば終わっていて、発表の後の質疑応答でかなりテンパってしまって自分でも意味不明な発言をしましたが、ま、とにかく終わりました.

発表が終わり、私の発表は大丈夫だったのか、私やらかしてないか、といったことが不安なままでしたが、私に対する印象が変わったよ、と言ってくれる先輩がいました.それから、つらかった2年前の職場の方も来て下さって、その職場で今では私の本を参考にしていると教えて下さいました.何よりも嬉しかったのは、私がちゃんとできるのか心配して、私と同じようにドキドキしながらそこにいてくれていた友人の存在です.本当に貴重な存在です.

そして、何が何だか分からないけど、とにかく終わった…という一日が過ぎ、翌朝5時にホテルで目覚めてぼーっとしていたら、ホテル周辺の商店街から「風立ちぬ」のサウンドトラック「旅路」が聞こえてきました.何度も何度も繰り返されていて、それを聴いているうちに涙が止まらなくなりました.この涙が止まらない感じ、自分でも何で泣いてるのかよく分かりませんでしたが、思い起こせば2012年7月24日に書いた「解放と旅立ち」の時の自分に似ている気がします.後でもう少し詳しく書きますが、何かが浄化されていく感じでした.

会合二日目.懇親会がありました.その席で、初対面の大阪の大先輩から「素晴らしい報告でした.ぜひ御著書も購入させて頂きます」と言って頂き、思わず涙が出そうでした.その方以外にも、私の発表を聞いた方々が話しかけて下さり、全国に新しい仲間ができたような気分です.以前から知っているある大先輩は、「あの質問にはちゃんと答えなきゃだめだったよ」といわれました.私自身、その質問に答えられなかったことが不甲斐なくて、思い出して夜中に目が覚めたので、そういうことを率直に言ってくださる方がおられるのも嬉しかった.

最終日の三日目.私が特別尊敬している大先輩の発表がありました.ぜひ一度お話ししてみたいと思っていたので、発表後に話しかけてみました.そうしたら、その方は私の報告を聞いていて下さって、私のような研究をしている人がいることは自分としてありがたいので、今後ともぜひよろしくお願いしますと言って頂きました.

すごすぎます.とにかくすべてが祝福されている気持ちでした.やっぱり帰りの新幹線はずっと「旅路」を聴きながらたくさん泣きました.

なぜ「風立ちぬ」にこんなに反応するのか.

おそらく、ずっと迷っていて苦しいからだと思います.私が主張していることは本当に正しいのか.私は何かものすごく大切なものを見落としてはいないか.それなのに無責任にも自分の考えを声高に主張しているのではないか.そういった不安があります.
実はこの不安を、最終日三日目に上記の尊敬する大先輩にぶつけてみました.そうしたら、彼は「自分も苦しいですよ.でも、苦しいということは、その分そこを掘り下げる必要があるということでしょう」とおっしゃっていました.

私はもうこの世界の人間なんだと、改めて思いました.

そして考えるのは「風立ちぬ」の二郎さんです.彼の人生には、理想と共にそういう苦しみが存在し続けたんだと思います.きれいな空と美しい飛行機.そして「私の作った飛行機は一機も戻って来なかった」という台詞.でも、彼はプロとして彼のやるべきことをやる以外になかったのだと思います.

私は、今回の発表のおかげで、この先の人生もこの世界に深く関わっていくということをはっきり自覚しました.私が受け取ったバトンを後に続く人達にきちんと渡せるように、そして、その時に少しでも日本と世界が調和のとれた世界に近づけるように、頑張りたいと思います.