読書日記です.

読んだのは,この二冊.

・鴻上尚史『「空気」と「世間」』(講談社現代新書2006)
・森達也『死刑』(朝日出版社,2008)

両方とも,ものすごく大切な一冊になりました.

まず,鴻上著の本から.本書の目的は,空気と世間の正体を突き止め,それらに振り回されない方法を探ることにあるとされている.本書では「空気」と「世間」が,「社会」と明確に区別されている.後者は,「個人」によって構成されるのに対して,前者には「個」という概念がなく,あるのは,共同体の一員といった感覚.空気は,世間が流動化したものだとされている.
日本は近代制度として,西洋から「社会」と「個人」を輸入したものの,これまで「世間」も残っていた.しかし,「世間」が崩壊しつつある.「世間」は人を振り回し,不安にさせるが,これも,我々がすでに「世間」の枠から出始めているからである.そもそもなぜ人は空気を読もうとするのかというと,その理由も寄る辺のない不安であるという.

以下引用
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不安はますます増大します.都市化と経済的・精神的グローバル化と格差社会で,伝統的な「世間」は崩壊し,不安はどんどん増大するのです.不安に負けないように自分を支えたい.支えなければ,生きていけない.けれど,「世間」は支えてくれない.その結果が,ここ数年の「空気」という言葉の乱発ではないかと僕は思っているのです.
支えてくれる安定した「世間」が欲しい.けれど,「世間」はかなりのレベルで壊れている.今までのような安心できる「世間」はない.だから,せめて「空気」に自分を支えてほしいと思う.
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最も納得したところは,個人を前提とする「社会」と,そうでない「世間」との区別です.
世間の目を気にするのではなく,不安を抱えつつも社会の一員として,「個人」として生きること.
今の政治においても,とても大事な考え方だと思う.特に,「個人」という言葉が憲法13条から消えるのは,認めてはだめなんじゃないか,という思いを新たにしました.

そして,上記の内容とは,あまり関係のなさそうな『死刑』でも,死刑制度の本質に関して,空気を読もうとする原因と関連する記述が出てきた.

少し長いが以下引用する.
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天敵を失ったことで慢性的な不安を身の内に抱え込んでしまった人類は,動物の中で唯一,自らの死を知ってしまった種でもある.見えない敵への恐怖と自らが消滅することへの根源的な不安.ダブルだ.これはつらい.だからこそ人は,絶対的な価値や規範を求めずにはいられない.(略)
 近年の日本においては特に,発達したメディアを媒介にして,被害者遺族が抱く応報感情への第三者の共鳴が拡大しつつある(略).これもまた裏返しの不安と恐怖の表れだ.価値や規範を可視化できない苛立ちや恐れが,絶対的な正義の存在を希求する.人は規範に従いたい生き物なのだ.規範がないのなら無自覚に作り出す.そんな究極の規範が,この世界のどこかに存在していてほしい.人はそう願う.
これがこの国における死刑制度の本質だ.(pp.242-243)
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この二つの本の内容が,とても関連しているように思える.
私が数日前に書いた「さみしんぼ」の内容にも.

人は内面に抱えているものが重たいほどに,他人に対して危害を与えやすくなってしまうのかもしれない.