低迷期でしたが、だんだん気持ちが整理できてきました。

どこに着目するか、どこを基点に定点観測するかによって、ものの見え方は大きく変わってくるものなのですね。

昨日はNYの時以来久しぶりに疲れすぎて眠れない状態になり、初めは少々当惑しました。せっかくこの半年間丁寧に生きてきたし、たくさんの気付きがあったのに、元に戻っちゃったみたいでショックでした。

無気力で何もしたくなくて、ただ溜め息がでるような、ジャンクフードをやけ食いしたいような、自虐的気分です。

散々だらだらと過ごした後で気付いたのは、こういう状態になったのには理由があるし、なってしまったものは仕方ないと受け入れる方がいいってことです。

最近人間関係で疲れる出来事が続きました。

まず、15年来の友人と初めて向き合い、結論として当面会わない事にしようと話し合いました。これまで彼女の心無い言葉に何度も傷付きながら、そのことについて本人と話し合うことはありませんでした。

今回、彼女から届いた手紙がそういうチャンスを与えてくれたので、私がどう感じたか伝えて、私の生き方を否定しないでほしいと伝えました。

その後メールを何往復かやりとりしたところ、今のタイミングでお互いを理解することは出来ないという思いが益々強まったので、上述のような結論に至った訳です。

もう一つ疲れる出来事がありました。
お世話になった方達にお礼をしようと思い、私なりに心尽くしをしたのですが、その席で、独壇場でご自分の経験と考えを話され、私が口を挟むことを拒む方がおられました。私の気持ちを蔑ろにされた気がしました。

どちらも、私としては誠意を持って接したつもりだったので、これで良かった、これは仕方ないことだと納得しようとしたのですが、本当の私は、相手が同じような配慮をしてくれなくて不満だった、もっと私を気遣い、大切にして欲しいと感じていたと分かりました。そんな子供の私の感情を大人の私が押さえ付けてたせいで、子供の私が暴れだしたんだと思います。

他にも気が沈む出来事が幾つかありましたが、基本的にはだいたい同じところに原因がある気がします。

今こう気付きましたが、じゃああの時どうしてれば良かったのか改めて考えても、やっぱり分かりません。

つまり、こういう心が疲れる状況は極力避けたいけど、避けられない時ってある。相手への期待がある限り、いつだってありうるんだと思います。ただ、自分が感じてる格好悪い感情を認めてあげることはこれからもっとしていきたいと思います。

これも練習ということでしょうか。

この気付きのための心のエクササイズを、このタイミングで用意してくれた神様はすごい。

実は、今日から鹿児島・屋久島旅行なのです。

ここで気持ち良い時間を過ごして、元気に日常に復帰したいと思います。

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