とってもおもしろい本と出会いました.
小坂井敏晶著『人が人を裁くということ』(岩波新書,2011年)です.
以下はおもしろかったところの抜粋です.
…主体はどこかに位置付けできる実体ではない.主体はどこにもない.ネットワークやシステムとしても主体は存在しない.主体とは,懲罰制度を可能にするためにねつ造される社会的虚構だ.
主体とは,責任を問う社会的文脈におかれて初めて意義を持つ概念である.人間が主体的存在だから責任を負うのではない.理論が逆だ.責任を問う社会習慣があるから,主体として人間が把握されるのだ.(160-161頁)
犯罪とは共同体への侮辱であり反逆だ.社会秩序が破られると,社会の感情的反応が現れる.したがって,人々の怒りや悲しみを静め,社会秩序を回復するために,犯罪を消し去らなければならない.しかし犯罪はすでに起きてしまったので,その犯罪自体を無に帰すことはできない.そこで,犯罪を象徴する対象が選ばれ,このシンボルが破壊される儀式を通して,共同体の秩序が回復される.このシンボルが犯人=責任者の正体だ.(165頁)
責任と罰は表裏一体だ.責任があるから罰せられるのではない.逆に,罰せられることが責任の本質をなす.犯人=責任者はスケープ・ゴートだ.(167頁)
社会の機能不全が原因で悪が生ずるのではない.その逆だ.悪は,正常な社会構造・機能によって必然的に生み出される.だから,時代が変わっても,人間がどんなに努力しても,悪はなくならない.(173頁)
社会秩序は自己の内部に根拠を持ちえず,虚構に支えられなければ根拠は成立しない.しかし同時に,社会秩序がさまざまな虚構のおかげで機能しているという事実そのものが,人間の意識に対して隠蔽されなければ,社会秩序が正当なものとして我々の前に現れない.つまり虚構の成立と同時に,その仕組みが隠蔽される必要がある.真理はどこにもない.虚構であるにもかかわらず,現実の力を発揮できると主張するのではない.虚構こそが真理の正体なのだ(186頁).
議論を尽くすことは大切だ.しかし,どこまでいっても究極的な根拠は見つけられない.この答えが最も正しいと,今ここに生きる我々の眼に映るという以上の確実性は,人間には与えられていない.判断基準は否応なしに歴史・文化・社会条件に拘束される.道徳や規範は,正しいから守られるのではない.共同体に生活する人々が営む相互作用の沈殿物だから,それを正しいと形容するだけだ.その背景には,論理以前の世界観が横たわっている.倫理判断は合理的行為ではない.信仰だ.だからこそ,道徳・社会規範は強大な力を行使するのである.
人が人を裁くことの恐ろしさ,そして切なさを前に,我々はどうすべきか.犯罪を減らし,よりよい世界を作り上げようと努力し,正義の実現を願う.しかし,善かれと思ってすることが,かえって仇となる事実に我々はもっと敏感になるべきだろう.正しい答えは人間の世界には存在しない.複雑な問題に対して簡単な答えを求めてはいけない.重要な問いほど,確実な答えはない(191-192頁).
小坂井敏晶著『人が人を裁くということ』(岩波新書,2011年)です.
以下はおもしろかったところの抜粋です.
…主体はどこかに位置付けできる実体ではない.主体はどこにもない.ネットワークやシステムとしても主体は存在しない.主体とは,懲罰制度を可能にするためにねつ造される社会的虚構だ.
主体とは,責任を問う社会的文脈におかれて初めて意義を持つ概念である.人間が主体的存在だから責任を負うのではない.理論が逆だ.責任を問う社会習慣があるから,主体として人間が把握されるのだ.(160-161頁)
犯罪とは共同体への侮辱であり反逆だ.社会秩序が破られると,社会の感情的反応が現れる.したがって,人々の怒りや悲しみを静め,社会秩序を回復するために,犯罪を消し去らなければならない.しかし犯罪はすでに起きてしまったので,その犯罪自体を無に帰すことはできない.そこで,犯罪を象徴する対象が選ばれ,このシンボルが破壊される儀式を通して,共同体の秩序が回復される.このシンボルが犯人=責任者の正体だ.(165頁)
責任と罰は表裏一体だ.責任があるから罰せられるのではない.逆に,罰せられることが責任の本質をなす.犯人=責任者はスケープ・ゴートだ.(167頁)
社会の機能不全が原因で悪が生ずるのではない.その逆だ.悪は,正常な社会構造・機能によって必然的に生み出される.だから,時代が変わっても,人間がどんなに努力しても,悪はなくならない.(173頁)
社会秩序は自己の内部に根拠を持ちえず,虚構に支えられなければ根拠は成立しない.しかし同時に,社会秩序がさまざまな虚構のおかげで機能しているという事実そのものが,人間の意識に対して隠蔽されなければ,社会秩序が正当なものとして我々の前に現れない.つまり虚構の成立と同時に,その仕組みが隠蔽される必要がある.真理はどこにもない.虚構であるにもかかわらず,現実の力を発揮できると主張するのではない.虚構こそが真理の正体なのだ(186頁).
議論を尽くすことは大切だ.しかし,どこまでいっても究極的な根拠は見つけられない.この答えが最も正しいと,今ここに生きる我々の眼に映るという以上の確実性は,人間には与えられていない.判断基準は否応なしに歴史・文化・社会条件に拘束される.道徳や規範は,正しいから守られるのではない.共同体に生活する人々が営む相互作用の沈殿物だから,それを正しいと形容するだけだ.その背景には,論理以前の世界観が横たわっている.倫理判断は合理的行為ではない.信仰だ.だからこそ,道徳・社会規範は強大な力を行使するのである.
人が人を裁くことの恐ろしさ,そして切なさを前に,我々はどうすべきか.犯罪を減らし,よりよい世界を作り上げようと努力し,正義の実現を願う.しかし,善かれと思ってすることが,かえって仇となる事実に我々はもっと敏感になるべきだろう.正しい答えは人間の世界には存在しない.複雑な問題に対して簡単な答えを求めてはいけない.重要な問いほど,確実な答えはない(191-192頁).
