「思いやり」という言葉を目にするのは,電車のマナー広告等で,そういうのを見た時,小学校の道徳のような,既成品で受け売りの正しさを押しつけられてるような窮屈感を感じてしまいます.

さらに,(私から見たら)全然思いやりがない人から,「あなたには思いやりがない」って言われてから,私はこの言葉が嫌いになりました.

が,実は,この「思いやり」観は,出発点から間違ってることに昨日気がつきました.やっと気づいたか私!


例えば遅刻.

私はよく遅刻します.行こうと思ってたジムのプログラムに行けなかったりします.子どもの時からです.で,ああ私はダメな子だ~って思うパターンです.

昨日はワークショップに5分遅刻しました.先生に悪いなと思いました.

この「悪いな」を予防するのが思いやりなわけですが,ここで学びました.
思いやりは,「先生は定時にみんなが揃ってしゃきっと始めたかっただろうな」って気持ちとつながってるんですね.
つまり,遅刻しないのは,私が大人だってことを証明するためじゃなくて,先生のことを想うパワーがそうさせるだけことで,ここからスタートして,広げてくものなんだという気がします.このことを先生が間接的に教えてくれました.信頼してる人から聞くと,浸透力があるんですね.

いろんなこと想像して,自分の周りの人達のこと考えるのは,自分が何かに追い立てられてたら難しくなります.楽しむ余裕もなくなります.そうすると,罪悪感とか,ダメ人間だなーって気持ちや,社会の既成品である「正しさ」に合ってるかどうかで,引き算ばかりになります.

でもやるべきことは,そうじゃなくて,自分なりの「正しさ」を編み出して,自分なりに正しい人になってくことなのですね.

私には失敗して学んだことがたくさんあります.
学んだことを確認するのは,重要な作業ですね.

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