友達が貸してくれた「嗜癖する社会」という本が,とても参考になります。
同書は,嗜癖について,「恐れを基盤」として,「コントロールの幻想,危機への導き,不正直,異常な思考プロセス,否認,依存,否定主義,防衛」が生じ,「自分自身の境界を引くことができ」ない状態という一文があります。
8月の休暇シーズンにも関わらず,夜中まで働く日々で,疲れてくると余裕がなくなり,自己中心的になってしまい,周囲との波長がうまく合っていないような,もぞもぞした気持ちになります。
自分自身の境界を引くというのは,私にとって大きな課題です。例えば,上司の言葉に納得しないで従っている時にはエネルギーを消耗しますが,これも,自分自身の境界を引くことができてないからなんだろうと思います。
友達による「嗜癖」概念の解釈を聞きつつこの本を読むと,もやもやとかイライラとかいった感情は,ある出来事が発生してから,それに対する自分の感情を自己認識するまでの途中のプロセスで発生しているんだと思うようになりました。
誰かの言動に腹が立ったり,不安に思ったりする時って,必ず理由があります。例えば,被害者意識を持つことはとてもつらくて悲しいことですが,なぜ相手を許せないのか,その理由を自分自身の中から見つけ出すことができたら,相手がどんな人であろうが囚われることなく自由な気持ちでいられると思います。難しい理想ですが。
自分の気持ちをストレートに受け留められたら,もやもやとかイライラ等といった中途半端な保留状態が短くなって,すっきりする気がします。
そしたら少々忙しくても,ポジティブなオーラで,無理しすぎずに健康な気持ちでいられるのかなと思います。
同書は,嗜癖について,「恐れを基盤」として,「コントロールの幻想,危機への導き,不正直,異常な思考プロセス,否認,依存,否定主義,防衛」が生じ,「自分自身の境界を引くことができ」ない状態という一文があります。
8月の休暇シーズンにも関わらず,夜中まで働く日々で,疲れてくると余裕がなくなり,自己中心的になってしまい,周囲との波長がうまく合っていないような,もぞもぞした気持ちになります。
自分自身の境界を引くというのは,私にとって大きな課題です。例えば,上司の言葉に納得しないで従っている時にはエネルギーを消耗しますが,これも,自分自身の境界を引くことができてないからなんだろうと思います。
友達による「嗜癖」概念の解釈を聞きつつこの本を読むと,もやもやとかイライラとかいった感情は,ある出来事が発生してから,それに対する自分の感情を自己認識するまでの途中のプロセスで発生しているんだと思うようになりました。
誰かの言動に腹が立ったり,不安に思ったりする時って,必ず理由があります。例えば,被害者意識を持つことはとてもつらくて悲しいことですが,なぜ相手を許せないのか,その理由を自分自身の中から見つけ出すことができたら,相手がどんな人であろうが囚われることなく自由な気持ちでいられると思います。難しい理想ですが。
自分の気持ちをストレートに受け留められたら,もやもやとかイライラ等といった中途半端な保留状態が短くなって,すっきりする気がします。
そしたら少々忙しくても,ポジティブなオーラで,無理しすぎずに健康な気持ちでいられるのかなと思います。