皇帝陛下です。
今日は、真面目な話になりますので、標準語で話したいと思います。
私は過去、様々な震災(テレビ含む)を見てきました。
実際、大きな地震も二度経験しました。
そんな私が驚いた出来事が10年前に起こりました。
そう、2011年3月11日の東日本大震災です。
震災から半年後、私は甚大な被害を被った複数箇所の被災地にいました。
汚水、ヘドロ、カビ。
不衛生で澱んだ空気。
現実とは思えない光景でした。
空爆されたかのような光景。
それは空爆ではなく、津波によって流された光景だった。
10メートル以上の高さの津波。
残された電柱が物語る。
難を逃れた地元の方と話す機会があった。
涙ながらに語っておられ、私も泣いてしまったくらいです。
家族、財産を流され、絶望するとはこういう事なんだと思った。
しかし、その方は絶望の中でも希望をもっているようでした。
不幸な記憶は消せないが、復興と共に心の傷が癒える日が来るだろうと。
そう感じた。
震災から1年後、工事関係者と話す機会があった。
民主党(当時は民主党政権)は何もしないと。
復興が進まない。
現地のまともな工事関係者や地元住民の方々が憤りを隠せずにいたのが印象的だった。
復興ではなく、商売の為に被災地で稼ごうとする業者も数多く目にした。
火気厳禁の場所で、平気でタバコを吸うような民度が低い輩達だ。
業者の中には中国人もいた。
被災者の財産の窃盗を目撃し、止めた事もあったくらいだ。
復興を名目に、私腹を肥やそうとする偽善的な行為の典型であり、蔓延していたように思う。
例えるなら、ユニセフのようなものだ。
復興とは何なのか。
疑問を抱いていた。
地元の方々が懸命に暮らしている中、他所から来た人間が踏みにじる。
困っている人を助け、支え、笑顔になれるよう1日も早く復興しなければならないのに。
何をやっているんだと苛立っていた期間がありましたよ。
時が流れ、暑い季節を迎えたある日、私が初めて訪れた被災地に再び足を運ぶ事になった。
そこで見た光景が忘れられない。
パッと見は、何も復興が進んでいない。
でも、そこには希望という光でいっぱいだった。
津波により流され、空き地と化したはずだった一面に、向日葵が咲き誇っていたのです。
心に響いたよ。
負けない。
必ず復興する。
何度でも立ち上がる。
被災者の方々の想い、そんな風に感じた時、涙が流れたよ。
初めて被災地を訪れた時とは違う涙でした。
その翌年の春に、私が関わる現地の任務が完了となり離れる事になりました。
細かく話したいのですが、この話はここまでにします😌
機会があれば、いつか✨
あれからどうなっているのかな。
行って確認したいな。
まあ、行くんだけどね。
私は、実際に被災地に行き、現状を目の当たりにした1人です。
被災者の気持ちは痛い程わかります。
だからこそ言えるのですが、被災地、被災者の方々の気持ちを考えた時、先日、記事にしましたが、軽々しく脱原発だの何だの言わないでいただきたい。
(※私は原発とは関わりはありません)
復興を成し遂げてもいない現状で、被災者の気持ちを踏みにじるような行為は不快極まりない。
血の通った人間ならやめてほしいと願う。
ただし、殆どの奴等は人間ではないと思うので、機会があれば徹底的に潰したいと思います。
いや、潰します。
それと、震災日が近付いた時、都合の良い時だけ報道するマスゴミは滅びてほしいと思います。
最後に。
残念ながら、当時の写真は当時のスマホが故障した為に掲載する事ができません。
(出来れば見せたかったです…)
ですが、安心して下さい。
私の脳に記憶され、心にしっかりと刻まれていますから😌
被災後の翌年元日の朝日(日の出)の写真だけ掲載させていただきます。
(※1枚だけ奇跡的に別媒体に保存して残っていましたが、古い画像、加工しているので画素が荒く微妙です。)
(何処かは秘密です😌)
希望の光✨
明日は、東日本大震災から10年です。
14時46分に黙祷していただきたいと思います😌
それではまた。