昔の働き方って…どんなんだったかな?と、ふと思い振り返ってみた。

世界から、働きすぎと言われていたあの頃…本当に働きすぎだったのだろうか?

本来、日本人の仕事ぶりというのは世界に希な丁寧さにあったと思う。そのため、日本人が作る製品は、クオリティが高いと世界中で称賛され、評価されてきたと思う。

その品質、クオリティに嫉妬したのが、アメリカだったんじゃないかな?
日本せいばかり売れて、アメリカ産が売れないという状況が長く続いたわけで…貿易摩擦なんて言葉があったのも事実。

では、アメリカ以外の国々とはどうだったのか?
ヨーロッパ諸国における貿易摩擦は、あったのかしら?
むしろ、WIN&WINの関係だったのではないかな?と思う。ヨーロッパ諸国にしてみたら、クオリティの高いところとむしろ友好関係を結んで、自国のブランド価値を高める方がより発展するとみていたように感じる。

さて、では当時の労働者の生活はどうだったのか?

いわゆる、高度経済成長時代の労働者たちの基本の勤務時間は…
基本的に週休1日、多くが日曜日が休みだったわけで…年間の勤務日数は、約290日。1日当たりの拘束時間は、8時間(9時~17時)だったので…年間では、2320時間。

現在は、基本的に週休2日、多くが土日休み。年間の勤務日数は、約240日。1日当たりの拘束時間は、9時間(9時~18時として)、年間では、2160時間。

1日の勤務時間は、1時間長くなったが、年間では勤務時間は減ったようにみえます。しかし、あの頃の時代の労働者のモチベーションとか仕事のクオリティはどうなったか?…正直、労働者のモチベーションは下がってきている…下がり続けていると思います。
仕事のクオリティに関して言うなら、企業によっても違いがあり、社内教育がある企業なら、まだマシだけど、多くの企業は個人に委ねており、個々の意識のレベルでクオリティが違う。

一定のクオリティを保っていた高度経済成長期に比べて、安定しないクオリティの日本製を世界が買うかと言うと答えはNO!だ。

そのクオリティを保とうとしたら、高度経済成長期と同じだけの時間が必要と考える。

となると…160時間をどうやって調整するか!
あの頃のクオリティと同等のクオリティを保つには、1日当たり、さらに1時間の残業が必要になります。

となると…1日の拘束時間は、10時間となります。
もちろん、当時も残業があったと思います。月間20時間くらいの残業があったとしたら…さらに1日の拘束時間も伸びます。

ほぼ1日の半分を会社で過ごすと。家に帰ったら、寝るだけ!!という日々。

高度経済成長時代の労働者たちの生活は、基本的に5時くらいにお仕事を終えて、まっすぐ帰宅したら18時~19時くらいに家に帰りつき、家族が揃って食卓を囲むという…いわゆる一家団欒の風景があって、家族のコミュニケーションがあったのかもしれない。
残業をして帰っても20時~21時で、たまに午前様になる方もいらっしゃいましたね。

当時は、アフターファイブなんて言葉もあったくらいで、17時以降の余暇を楽しむというゆとりが合ったように感じます。

さらに父親が子供に勉強を教えるとか、母親が子供に料理を教えるとかもあったように思う。
家族で音楽を楽しんだり、テレビを視聴したり、トランプゲームをしたり…帰宅後の楽しみというのがあり、今よりはるかに豊かだったと思う。

今は、1日の仕事の終わりが遅くなるから、子供と向き合っている時間が昔に比べて少なくなっていて、父親が子供に勉強を教えるなんてする時間も無くなって、結果子供たちは、学習塾に通い…夜遅く繁華街をうろつく…で、犯罪に巻き込まれる!

さらに、母親も働いているから、子供の些細な変化に気づきにくくなっていて…子供たちの心の安定がなくなり…いじめが陰湿化したり、自殺者が増えたり。


昔に比べて、正直…不幸になってきていると感じる今日この頃ですね。

せっかく、休日が増えても今の状況では、日々疲れ果てて余暇を楽しむことができていないのかな?とも感じます。

さらに、サービス業に限っていうと、土日のみ忙しく平日は、閑古鳥が鳴くと。実際、平日にお金を使うのは少ないのかもしれない。

昔は、平日にもお金が動いていた…今の数倍は、あったと思う。それが、新たなお金を生んで、経済が雪玉が雪の斜面を転がるように大きくなっていったんだと思う。だから、あれだけの経済成長になったのかな?と、考えています。

1日当たりの余暇時間がしっかりあるのと、1日当たりの余暇は全くないけど休日が50日ほど増えるのと…どちらが、幸せなのだろうか?どちらが、豊かな国民生活が送れるのだろうか?

なんだか、考えてしまいます。