2025.8.22~8.27
南三陸海岸・キャンプと車中泊のキャンピングカー旅行
2025年8月22日~8月27日の5泊6日の南三陸海岸の旅行記。
車中泊3泊・キャンプ2泊の旅の備忘録です。
よろしければお付き合いください。
8月24日(日) 3日目
4:25 道の駅さんさん南三陸 発
4:50 神割崎
5:40 道の駅硯上の里おがつ
3日目① 南三陸海岸・キャンプと車中泊のキャンピングカー旅行 の続き
8:50 震災遺構大川小学校
今回の旅行で、いや
震災遺構の中で、いや
私史上、一番行ってみたかった場所かもしれない所に来ました。

児童108名中74名・教員10名が津波の犠牲となった、石巻市の大川小学校。

1つ1つの言葉が重く、熟読しました。

なんで、この学校だけがこんな事になってしまったんやろう・・・

地震後のすぐに校庭に避難した子ども達。

なのに、大津波警報が発令され町が避難を呼びかける中、
なんで、50分もの間、校庭で待機し続けたんだろう?
なんで、二次避難先が決まって無くて、校庭で相談する事になったんだろう?
なんで、すぐ近くにある高い裏山にひなんしなかったんだろう?
なんで、川に向かって避難(橋のたもとの小高い場所)したんだろう?
なんで(今となっては)不可解な行動を取ってしまったんだろう?
終わりの会をしていた子ども達。
日常の学校生活がそこにはありました。
その日常が、2011年3月11日14時46分に崩れてしまいます・・・
そして、学校管理下で前例のない大きな大きな大きな被害。
海からでなく、川からの津波に遭遇。
川方向にある三角地帯を目指していた子ども達・・・なんで???
疑問は残るが、先生たちも絶対子ども達を助けたかったはず。
これは、絶対の絶対!
絶対に子ども達を守るつもりだったはず。
なのに・・・なんでなん???
柵に囲まれた校舎、この校舎内がすごく綺麗なんです。
廊下も、教室も、中庭も、全部が綺麗なのがとても気になりました。

津波で渡り廊下は、海側にねじり倒されています。

津波は、海からでなく反対方向から来て、渡り廊下を海側に倒しました。

津波は、この大川小学校で渦をまいてめちゃくちゃにしてしまったそうです。
石巻市の新北上川の河口から約5キロの場所にある「大川小学校」
2016年3月、石巻市この校舎を存置保存して、震災遺構としました。
野外ステージ壁面には、校舎の絵と「未来を拓く」の文字が。
「未来を拓く」は校歌のタイトルだそうです。
写真の、一番左が校舎→ねじり倒された渡り廊下→プール棟→体育館跡
プール棟裏にあるプール跡
校舎の裏側を歩いていると、柵を拭いておられる方がおられました。
そうか・・・
先程、気になって印象に残っていた、この震災伝承施設の大川小学校が
綺麗な理由は、こういう人がおられるからなのか・・・

それが分かり、鼻の奥がツンって・・・

学校に併設するように「大川震災伝承館」がありました。

もちろん、入館。
多くの資料や展示物がありました。

上下の写真は、震災前後の同じ場所を撮ったもの

住宅街だったのに・・・

このランドセルは、大川小学校の当時9歳の女子児童の持ち物。

このランドセルの持ち主は「はなちゃん」。

音読の宿題カードには3月10日の分まで花丸がついています。
その後、3月11日以降は空欄のまま・・・

はなちゃんは、3月11日以来、今もまだ行方不明だそうです・・・

この袖口が破れた紫色のジャンパーは、はなちゃんのお兄ちゃんの服。

ジャンパーは2012年に見つけられたそうです。
そのジャンパーの写真に下の方に映っているのが、津波でちぎれた左そで。
2019年に見つかったとの事。

震災前後の写真。

橋は流されて、緑が無くなっていますね。

震災前にあった、中州が無くなりました。

震災直後、大川小学校へは船で行ったそうです。

震災後は川、海が広くなっています。

床が波打ってる教室の写真。

天井には津波の跡

津波に襲われた時間で止まったまま、動かない時計

1つ1つの展示から目が離せない。

ただただ無言で読みました。

するとガイドさんが入って来られて、一緒に来られた人に説明を始めます。
周りにいた私たちにも「一緒に聞いて下さい」と言ってくれました。
そのガイドさんは、当時学校の先生で、3月11日は自身の学校で自身の
生徒さんと避難、そして翌日、その方の奥さんたちが来られて・・・
大川小学校に通っている娘さんが亡くなられた事を聞いたそうです。
「〇〇〇(娘さんの名前)の、遺体があがった」
自分の子どもの名前の後に、遺体って言葉が続く意味が分からなかったって。

伝承館には、パソコンが置いてありました。

そのパソコンから、立ち入りが出来ない「大川小学校」の校舎内の様子を
見る事が出来ます。

多くの画像を見る事が出来ました。

色々な場所

色々な角度

津波でぐちゃぐちゃだったはずの校舎内

どんな気持ちで、整えたんだろう?

どんな気持ちで、写真に収めたんだろう?
犠牲となった児童23人の遺族が2014年3月に提訴したとの事。
「マニュアルに具体的な避難場所や方法の記載がなく、極めて不十分」
などと訴えていたそうです。

そして、気になって印象深かった事。

やっぱり、そうだったんですね・・・
「ずっとそうじを続けてきました」・・・
「ずっと」って言葉にジーンとしてしまいました。
これは、奇跡的に津波から逃れられた児童が、
流れて来たスーパの袋から見つけたお菓子。
申し込んでいました。

ガイドさんの説明を聞きながら、再度「大川小学校」を周ります。

丁寧にガイドしてくれて、良く理解出来ました。

が・・・
何故か先程、伝承館で「一緒に聞いて下さい」と
言ってくれた学校の先生だったガイドさんとの違和感が半端なかった。

所々で「裁判などで証明された事実のみを話します。」の様な言葉。

引っ掛かりながらも、ガイド自体は分かりやすく良い話を聞けました。

体育館裏にある木々???
めっちゃ近くにある此処ってなに???

旦那は、震災関連のYouTubeを良く見ているのである程度の事は
分かっていた様でしたが、私は「来てみたい」という気持ちのみで
訪れた「大川小学校」でした。
こんな近くに???
この「大川小学校」には校庭から続く裏山があったんです。

大川には・・・・・・山がある
山があったのに、なんで???なんでなん???

怖かったやろうな、苦しかったやろうな、
この話も熟読しました。
気持ちを言葉にする難しさを、改めて思い知らさる事に。
また別のガイドさんが話し掛けて来てくれました。
ガイドではしない様な、裏話的なエピソードを色々と雑談の様な話。
車に戻る時、「一緒に聞いて下さい」と言ってくれたガイドさんと
すれ違いました。
この小学校をガイドしてくれるのは、「大川震災伝承館」のスタッフさんと、「大川伝承の会」の語り部さんが、いてるみたいです。
ありがとうございました。
3日目① 南三陸海岸・キャンプと車中泊のキャンピングカー旅行 に続く
13:05 道の駅硯上の里おがつ
13:45 道の駅おながわ
14:35 スーパー
16:00 おしか家族旅行村オートキャンプ場 着
4日目 南三陸海岸・キャンプと車中泊のキャンピングカー旅行 に続く





































