2025.8.22~8.27
南三陸海岸・キャンプと車中泊のキャンピングカー旅行
2025年8月22日~8月27日の5泊6日の南三陸海岸の旅行記。
車中泊3泊・キャンプ2泊の旅の備忘録です。
よろしければお付き合いください。
8月23日(土) 2日目
「南三陸ホテル観洋」の「語り部バス」に乗った後は、
「道の駅さんさん南三陸」に戻ります。
10:35 道の駅さんさん南三陸 戻
戻ると、「南三陸さんさん商店街」のお店は開いていました。

商店街の色々なお店に入ってみます。

お店の中は賑わっていましたよ。

一通り回った後、朝散歩の時に周れなかった周辺を散策。

橋(中橋)の向こうに見える「南三陸震災復興祈念公園」を、
震災伝承施設「南三陸311メモリアル」の建物横の階段から上にあがった

公園内には、震災遺構として防災対策庁舎が震災当時のまま保存されています


津波を受けながらも「高台へ非難してください」と、呼びかけを続けた・・・

必死の防災無線での呼びかけを続けてくれた、3階建ての
「防災対策庁舎」の屋上を2mも上回る津波が襲って来るなんて・・・

後世に津波の脅威を伝えるために保存を求める声がある一方で、
「見るのがつらい」と解体を望む遺族が多かったそうです。

津波から助かった職員の方は、屋上のアンテナにつかまることができた人と
手すりやフェンスで必死に耐えられた人たちだけ

防災無線で津波到達のギリギリまで住民に避難を呼び掛けて、
屋上に避難して手すりやフェンスやアンテナにしがみついたが、
津波の力は想像をはるかに超えていました。

「大津波警報が発令されました。高台に避難してください」
「6メートルの津波が予想されます」
「異常な潮の引き方です」
「逃げてください」
防災無線の必死の呼び掛けが、多くの命を救う事になります。
しかし・・・
この話は知っておかないといけないと思いました。
中央の白いのに、駅名がかいてあります。

震災の犠牲になられた方々の名簿を納める「名簿安置の碑」

「復興祈念のテラス」が設置されている祈りの丘から見た「防災対策庁舎」

「語り部バス」で行った「高野会館」も見えました。

今は、公園内にポツンと残る赤い骨組みだけの建物。

震災前は、人々が暮らす街の中にある建物だったはず。

津波は、その全部を飲み込んでしまいまいた・・・

屋上に避難した53名の方のうち、42名が犠牲になってしまったそうです。

いま、碧き海に祈る 愛するあなた 安らかなれと・・・
(名簿安置の碑に刻まれた言葉)

隈研吾さんが設計した橋(中橋)を渡って、「南三陸311メモリアル」へ。
南三陸311メモリアル
南三陸町東日本大震災伝承館 南三陸311メモリアルに入館します。
此処の伝承館は震災関連の展示だけではなく「ラーニングプログラム」を
体験出来ました。
「もしそこにいたら自分はいったいどう判断し行動するだろう?」
ラーニングシアターで、住民の証言映像や写真などを見て、他の人たちと
話しながら、いざというときの判断や行動について自分ごととして考えました
防災に関する新たな学びや発見をするというのが目的。
興味深かったので、参加させて貰い、職員さんのお話も聞けて良かったです。
昼食は「ラーニングプログラム」を体験する前に「南三陸さんさん商店街」で
買った物を食べていましたよ。(ご飯を炊いて)
その後は、商店街でおやつのジェラートを。
サンドイッチマンも来られた様で写真が飾ってありました。
同じ場所で、旦那の写真を1枚。笑
宮城店限定の「ずんだもち」味を「いただきます~」

美味しかった~

「南三陸の記憶」という常設写真展示館も商店街にありました。

そして、2日続けて車中泊地を「道の駅さんさん南三陸」にした目的。

「第3回 南三陸かがり火祭り 八幡川灯ろう流し」の準備が進んでいます

まちの風景が変わっても、志津川地区の中心を流れる八幡川は、ここに住む人々のふるさとの記憶を今に伝える証となっています。
日暮れと共に多くの灯ろうが彩る八幡川で、ふるさとに想いを馳せる時間を
一緒に過ごしてみませんか。(パンフレットより)

八幡川に流れる灯ろう

商店街には屋台も出ています。
川の向こうには、ライトアップされて「防災対策庁舎」と「高野会館」
写真左の光は、多分、語り部バスの「南三陸ホテル観洋」。
南三陸311メモリアル(左)道の駅駐車場(中奥)
南三陸ポータルセンター観光案内所(右)
このお祭は、震災前から町の中心部を流れる八幡川で行われていた恒例行事。

震災で途絶えていたそうですが、2023年に復活して今回が第3回になります。

行山流水戸辺鹿子躍のステージ


先祖供養保養も行われていました。

多くの人がお祭りに来られていましたが、私の中で何故か1人、
橋の上で写真を撮る男性で気になって気になって仕方ない人がいたんです。
その時、理由は分かりませんでした。
旦那にも、「あの人誰やろう?」って言ってて・・・
旦那は不思議に思ったやろうなぁ~

後で、写真やYouTubeを見てはっきりと誰かを知る事に。
あの日、防災対策庁舎で津波に巻き込まれたが、
屋上のアンテナにしがみつき奇跡的に生還できた町長さんでした。
(2025年11月に、『防災庁舎の屋上から見た惨状は昨日のことのように思い出されると涙ぐみ、町を再建するという私の使命は全て終えた』と退任)
「防災庁舎で他の職員を足蹴にして自分だけ生き延びた」という噂が流れ、
町民から「お前が死ねば良かった」と非難されたこともあったそうです。
そんな町長さんだったので、地元民では無く、面識もないのに、
お祭りのフィナーレは、打ち上げ花火!!
おやすみなさい。
3日目 南三陸海岸・キャンプと車中泊のキャンピングカー旅行に続く

























