早いもので、今年も残すところあと半月となりました
焦っても仕方ないと、いつにも増して自分をなぐさめています
さて、6月に沢蟹について書きましたが、
今日は昔の山のくらしを別バージョンの見方で記したいと思います。。。
昔々、農作業に出ている両親の代わりに、祖父が昼夕食を作ることも多かったのです
栄養バランスなんて全く考えない、そうめんだけ、乾麺うどんの釜揚げだけ、ニガウリとなすびの味噌煮だけ、なんてのはざらでした。
いつも自分の食べたいものばかり作っていました。
それでもへとへとに疲れて帰る母には有り難かったようで、、、
いつも祖父への感謝の言葉を忘れずきちんと伝えていました
私は、夕方になると
かまどとお風呂焚きをやってましたので、
寒い冬の火の番は嬉しくて。。。
特に五右衛門風呂の焚き口は足元から暖まるので、大好きで、
熱々の薪ストーブもしくは家内焚き火状態
夕暮れ、両親が帰ってきます。
この時期、
父の手に金串が握られていると逃げたくなりました
せっかく実ったみかんを食べる鳥、防風林の桧に網を張って、捕獲した野鳥を持ち帰って来るのです。。。
ヒヨドリだの方言でカッチョだのいう鳥を、丸焼きにするのは私の役目でした
お風呂の焚き口にできた燠(薪の燃えたあとの赤い部分)に焼き網を乗せ、顔をそむけながら
金串を回します。
可哀想で泣きそうになりながら
そしてそれは、祖父と父の晩酌の肴となるのでした
わが家は猟はしませんでしたが、時おり頂くこともありました。
両親はそれをこっそり鍋にして出そうとしましたが、今のようにスパイスのない時代でしたので、まともな嗅覚で嗅ぎとった変わった匂いに姉弟で反応していました
ぼたん鍋は猪。
さくらは馬。
ピョンピョンはそのものうさぎ。
へんな呼び方ばかりして、なんとか食べさせようとしたのでしょう。
それくらい昔の山暮らしにはたんぱく質が不足していたのです。
貴重だった鶏も卵を産まなくなると食糧にされました。
なぜか祖父が必ずや解体まで見せるのが嫌でした。
『じいちゃんもじいちゃんから教わった』という理念だったらしいですが、、、
こころでごめんなさいごめんなさい、と謝っていました
先日、老若男女の自給自足体験イベントの話が流れていました。
自分達で育てたものを収穫捕獲して食するというもので、何を作り育てるか話し合って、生き物はダチョウにしたという話でした。
聞いていて絶句
ダチョウ大きくして食べること知ってるのかなって。
主催者は黙って見守り、
時は過ぎ、
成長したダチョウをいつ食べるかと、問うと、
みんなペットだと思っていたという話でした。
可愛がって育てたものを食べるということがどんなに残酷か、という参加者に
主催者は告げます。
畑で育てた野菜も、果物も、ダチョウと同じ命です。
イワシやサバはよくて、イルカやクジラはだめ。
牛や豚、鶏はよくて、犬やダチョウはだめ。
そう、人間に近しいものほど罪を感じるのですね。
どの命も同じ命。
大も小もないのです。
人間の身勝手で決めているだけです、と。
感慨深いお話でした
ああ、そうでした。
昔々、猟をした山、作物を育てた農地、漁をした海。
すべての恵みに感謝して暮らしてきたのですよね。
食べさせていただいてありがとうございます、
と、
日頃から感謝しながら生きましょう。
私の幼い時代の残酷物語は生命の尊さを学び、生活の糧にする感謝を抱くためのものだったのですね
はっとした時間でした
私事ですが、一昨日、夫が手術を受けました。
内視鏡下なので、5日間で退院という簡単なものですみます。
おかげさまでこれでまたジュミョウが延びたと感謝しております
思えば、今年もドタバタ、、、しました。
みんなにいろんな事がありました。
〆に夫の入院、私の腰痛。
最後の最後まで健康の大切さを実感した年でした
今日1日こたつでぐうたら(いえ、安静に)してたら
ずいぶん痛みも楽になりました
ほっと安心です
来週は冬至ですね
太陽の力が最も弱まる日
これから厳しい寒さが待っていますが
この日を境に少しずつ少しずつ太陽の力が甦ってくるので
『一陽来復』とも言われるのだそうです。
悪いことが続いた後、良いことに転じるときにも使われる言葉、、、
今のわが家にぴったり。。。
胸にじーんと響きます
そして『ん』のつくものを食べて、
『運がつきますように』
7つ食べるといいといわれる『運盛り』
≪なんきん、にんじん、かんてん、ぎんなん、うんどん、きんかん、れんこん≫
今年は全部揃えて感謝しながらいただきましょうか。。。
クリスマスも近いので、
刺し子もシーズンに合わせたものを作りました。
上は教会柄
下は星、こびと、グラスです。
こびと図案は2ヶ所刺し間違いがあります
来週は季節が逆戻りするそうです。
皆さま体調にはお気をつけくださいね。
今日も長文にお付き合いくださいまして、ありがとうございます
焦っても仕方ないと、いつにも増して自分をなぐさめています
さて、6月に沢蟹について書きましたが、
今日は昔の山のくらしを別バージョンの見方で記したいと思います。。。
昔々、農作業に出ている両親の代わりに、祖父が昼夕食を作ることも多かったのです
栄養バランスなんて全く考えない、そうめんだけ、乾麺うどんの釜揚げだけ、ニガウリとなすびの味噌煮だけ、なんてのはざらでした。
いつも自分の食べたいものばかり作っていました。
それでもへとへとに疲れて帰る母には有り難かったようで、、、
いつも祖父への感謝の言葉を忘れずきちんと伝えていました
私は、夕方になると
かまどとお風呂焚きをやってましたので、
寒い冬の火の番は嬉しくて。。。
特に五右衛門風呂の焚き口は足元から暖まるので、大好きで、
熱々の薪ストーブもしくは家内焚き火状態
夕暮れ、両親が帰ってきます。
この時期、
父の手に金串が握られていると逃げたくなりました
せっかく実ったみかんを食べる鳥、防風林の桧に網を張って、捕獲した野鳥を持ち帰って来るのです。。。
ヒヨドリだの方言でカッチョだのいう鳥を、丸焼きにするのは私の役目でした
お風呂の焚き口にできた燠(薪の燃えたあとの赤い部分)に焼き網を乗せ、顔をそむけながら
金串を回します。
可哀想で泣きそうになりながら
そしてそれは、祖父と父の晩酌の肴となるのでした
わが家は猟はしませんでしたが、時おり頂くこともありました。
両親はそれをこっそり鍋にして出そうとしましたが、今のようにスパイスのない時代でしたので、まともな嗅覚で嗅ぎとった変わった匂いに姉弟で反応していました
ぼたん鍋は猪。
さくらは馬。
ピョンピョンはそのものうさぎ。
へんな呼び方ばかりして、なんとか食べさせようとしたのでしょう。
それくらい昔の山暮らしにはたんぱく質が不足していたのです。
貴重だった鶏も卵を産まなくなると食糧にされました。
なぜか祖父が必ずや解体まで見せるのが嫌でした。
『じいちゃんもじいちゃんから教わった』という理念だったらしいですが、、、
こころでごめんなさいごめんなさい、と謝っていました
先日、老若男女の自給自足体験イベントの話が流れていました。
自分達で育てたものを収穫捕獲して食するというもので、何を作り育てるか話し合って、生き物はダチョウにしたという話でした。
聞いていて絶句
ダチョウ大きくして食べること知ってるのかなって。
主催者は黙って見守り、
時は過ぎ、
成長したダチョウをいつ食べるかと、問うと、
みんなペットだと思っていたという話でした。
可愛がって育てたものを食べるということがどんなに残酷か、という参加者に
主催者は告げます。
畑で育てた野菜も、果物も、ダチョウと同じ命です。
イワシやサバはよくて、イルカやクジラはだめ。
牛や豚、鶏はよくて、犬やダチョウはだめ。
そう、人間に近しいものほど罪を感じるのですね。
どの命も同じ命。
大も小もないのです。
人間の身勝手で決めているだけです、と。
感慨深いお話でした
ああ、そうでした。
昔々、猟をした山、作物を育てた農地、漁をした海。
すべての恵みに感謝して暮らしてきたのですよね。
食べさせていただいてありがとうございます、
と、
日頃から感謝しながら生きましょう。
私の幼い時代の残酷物語は生命の尊さを学び、生活の糧にする感謝を抱くためのものだったのですね
はっとした時間でした
私事ですが、一昨日、夫が手術を受けました。
内視鏡下なので、5日間で退院という簡単なものですみます。
おかげさまでこれでまたジュミョウが延びたと感謝しております
思えば、今年もドタバタ、、、しました。
みんなにいろんな事がありました。
〆に夫の入院、私の腰痛。
最後の最後まで健康の大切さを実感した年でした
今日1日こたつでぐうたら(いえ、安静に)してたら
ずいぶん痛みも楽になりました
ほっと安心です
来週は冬至ですね
太陽の力が最も弱まる日
これから厳しい寒さが待っていますが
この日を境に少しずつ少しずつ太陽の力が甦ってくるので
『一陽来復』とも言われるのだそうです。
悪いことが続いた後、良いことに転じるときにも使われる言葉、、、
今のわが家にぴったり。。。
胸にじーんと響きます
そして『ん』のつくものを食べて、
『運がつきますように』
7つ食べるといいといわれる『運盛り』
≪なんきん、にんじん、かんてん、ぎんなん、うんどん、きんかん、れんこん≫
今年は全部揃えて感謝しながらいただきましょうか。。。
クリスマスも近いので、
刺し子もシーズンに合わせたものを作りました。
上は教会柄
下は星、こびと、グラスです。
こびと図案は2ヶ所刺し間違いがあります
来週は季節が逆戻りするそうです。
皆さま体調にはお気をつけくださいね。
今日も長文にお付き合いくださいまして、ありがとうございます