季節は処暑(しょしょ:暑さやわらぐ)を過ぎ、来週あたりから天地始粛(てんちはじめてさむし)と言うそうで…いよいよ夏も終わりを感じる頃となるでしょうか
今年の二百十日は8月31日だそうですが、台風と雨の被害が続く東日本の皆さまお見舞い申し上げます。
どうかこれ以上の天災が起きませんように。。。
旧暦の8月1日のことを八朔と言いますが、故郷では毎年9月1日に八朔祭が行われます
七夕と同じで月遅れの行事ですね。ですから二百十日と八朔の厄払いと五穀豊穣の祈願が行われていたんでしょうね。
5月の水天宮さんと同じで八朔さんも夜店が並び
夜には川沿いで打ち上げ花火が
あがるので、子ども達の楽しみでした
さて、多くの学校は夏休みも残り少なくなってきましたね
私がブログを始めたきっかけは、古い古い昭和の山あいの集落の暮らしを書き留めるためでしたので、今日もまた昔のお話にお付き合いくださいね
季節はちょっと戻って梅雨明け早々のカンカン照りの日
あちこちの家で大掃除が行われます
畳をすべて剥がして陽に干したら2階(納屋になっていた)に運び、家具を運び出したら床の水拭きです。時折小銭が落ちてたら大喜びです
そのあとを母が渋をひいていきます
渋とは柿渋のことです。
青い渋柿を臼で砕き、一升瓶に詰めて熟成させたもので、天然のワックスができます。
毎年大量に作って瓶の口には杉の葉を束ねてねじ込みます。(密閉すると発酵するので割れます)
縁側の床下には一升瓶がずらりと並んでいました。
ドロドロになった正体不明の液体は、晒しとじょうごで濾されて別の一升瓶に入れられると透明な茶色い液体になります。
防水と防腐効果に優れているので、木の部分に塗られていました。
布や紙に塗られてもいたそうですが、私はその方面は知りません
さて、この柿渋ですが、臭いです
強烈な臭いを放ちます
乾けばマシになりますが、酸っぱい腐ったような臭いはたまりませんでした
渋ひきした部分が乾くまで祖父と父と子ども達で汗を流しに川へ向かいます。
家に帰って着替えると、土間に簡易お膳が出してあって木の腰かけや、めごと呼ばれた笹かごや竹かごをひっくり返した簡易椅子に座ってお昼ご飯です。
勿論そうめん
毎日がそうめ~ん
うんざりで。。。
薬味は青紫蘇か茗荷か野韮です。そして必ず塩サバ!!
保存がきくので塩サバの登場が多かったのでしょうけど、
そして、ご飯は竹かごに入れてぶら下げても痛みやすいし、
カリカリに乾いた固いご飯は喉越しも悪くて、
夏の農作業のあとのそうめんは両親にとって喉越しのいい食べ物だったと思います。
でも、あまりにも食べ続けてきたので、
さすがに今ではそうめんと塩サバは食べなくてもいいくらいの存在になりました
さて、塗られた柿渋が乾くと、床や柱がてかてかぴかぴかつるつるになっています。もちろん、かまどの煤で黒光りですが。。。
臭いけど床下からの冷感で板張りの床はひんやりして気持ちのいいものです。
みんなで寝転んでお昼寝タイムとなります
ところで、、、
毎年初秋になると
何故たくさんの柿渋を作ったかですね、、、小学校の校舎に渋ひきするためです。
当時木造だったので、夏休み最後の日曜日にはPTAの方々が持ち寄った柿渋で一斉に天然のワックスがけされてたんです
天井、壁、床、窓枠、渡り廊下の踏み板、机、椅子、下駄箱に至るまで全てが木製でしたから、ものすごい量の柿渋が必要だったと思います。
当時はまだゴム手袋がそれほど普及してませんでしたので、皆さん素手で雑巾に柿渋を浸して塗られてもいたので、もう両手はカピカピに渋がこびりつき、蝋細工のようだったと聞いています。
暑いなか大変な作業だったでしょう。
毎年9月1日、ぴかぴかつやつやの校舎で新学期を迎えることができたのもたくさんの方々のおかげです。
しかも当時でも珍しかったのでしょうか、柿渋塗りの木造校舎を記事にされたり、見学に来られたりしておりました。
L字型の2階建てで1学年ひとクラスしかなく、1階が低学年、2階が高学年の教室でした。
上靴がなくて、冬以外は裸足です
L字の短い辺の1階が給食室、家庭科室、理科室、廊下でその2階部分は全部講堂でした。
体育館がなかったので、各集会や行事、雨降りの体育授業はそこでやっていました。
私はこの講堂と階段の踊り場が大好きでした
広い板張りの部屋に両側にはたくさんの窓、雨降りの昼休みにはみんなの遊び場にもなり、飾りこそないけれど古い洋館のような場所でした。
そして階段の踊り場は黒光りするくらいぴかぴかで、窓から見える運動場の大きな銀杏の木が季節毎に姿を変えて楽しませてくれました。
どこもかしこもぴかぴかつるつるなのでとにかくよく滑ります
走ると必ずこけます
そのかわり床はスケートや滑り込みができるし、階段の手摺はソリができました
6年生の教室だけ2階の講堂の向かい側にあって(ちょうどL字の角です)、その間に階段が作られていましたので、教室を出ると階段側に手摺が並んでいて、危ないけどもそこに腰かけたりしてましたね。
海外だとここに大きなキルトを掛けたりするのでしょう。
もう本当に山暮らしのなかで唯一洋風を感じられる場所でした

危ないけれど楽しくて。
明るくはないけれど落ち着いた趣のある贅沢な学舎だったと思います。
子ども時代をこんな素敵な場所で過ごせてとても感謝しております
小学校は道路より下の川沿いで土地が低かったこともあり、ずいぶんあとですが水害で水に浸かり、高い土地に移転し新しく作られました。
取り壊しの前にたくさんの卒業生が集まったそうです
壊される前に広報紙に載った物を母が残してくれましたので、今でも手元に置いています
その後、コンクリートでできた校舎も廃校になり、今では一部を介護施設として利用されていると聞いています。
これで思い出話は終わります


さて、今回のクロスステッチは茗荷です。
以前の韮(にら)やハーブと一緒に作った図案です。
昔、実家にあった大きな柿の木の根元に繁っていた茗荷です。
増えもせず減りもせずそこにあるのが当然だったもの。
結婚して初めて知った、当然だったことへの有り難さ。
スーパーに並ぶ茗荷の高値に驚いたものです
今ある当然のことにもっと感謝しなければならないですね
今日も長文にお付き合いくださいましてありがとうございます
今年の二百十日は8月31日だそうですが、台風と雨の被害が続く東日本の皆さまお見舞い申し上げます。
どうかこれ以上の天災が起きませんように。。。
旧暦の8月1日のことを八朔と言いますが、故郷では毎年9月1日に八朔祭が行われます
七夕と同じで月遅れの行事ですね。ですから二百十日と八朔の厄払いと五穀豊穣の祈願が行われていたんでしょうね。
5月の水天宮さんと同じで八朔さんも夜店が並び
夜には川沿いで打ち上げ花火が
さて、多くの学校は夏休みも残り少なくなってきましたね
私がブログを始めたきっかけは、古い古い昭和の山あいの集落の暮らしを書き留めるためでしたので、今日もまた昔のお話にお付き合いくださいね
季節はちょっと戻って梅雨明け早々のカンカン照りの日
あちこちの家で大掃除が行われます
畳をすべて剥がして陽に干したら2階(納屋になっていた)に運び、家具を運び出したら床の水拭きです。時折小銭が落ちてたら大喜びです
そのあとを母が渋をひいていきます
渋とは柿渋のことです。
青い渋柿を臼で砕き、一升瓶に詰めて熟成させたもので、天然のワックスができます。
毎年大量に作って瓶の口には杉の葉を束ねてねじ込みます。(密閉すると発酵するので割れます)
縁側の床下には一升瓶がずらりと並んでいました。
ドロドロになった正体不明の液体は、晒しとじょうごで濾されて別の一升瓶に入れられると透明な茶色い液体になります。
防水と防腐効果に優れているので、木の部分に塗られていました。
布や紙に塗られてもいたそうですが、私はその方面は知りません
さて、この柿渋ですが、臭いです
乾けばマシになりますが、酸っぱい腐ったような臭いはたまりませんでした
渋ひきした部分が乾くまで祖父と父と子ども達で汗を流しに川へ向かいます。
家に帰って着替えると、土間に簡易お膳が出してあって木の腰かけや、めごと呼ばれた笹かごや竹かごをひっくり返した簡易椅子に座ってお昼ご飯です。
勿論そうめん
毎日がそうめ~ん
薬味は青紫蘇か茗荷か野韮です。そして必ず塩サバ!!
保存がきくので塩サバの登場が多かったのでしょうけど、
そして、ご飯は竹かごに入れてぶら下げても痛みやすいし、
カリカリに乾いた固いご飯は喉越しも悪くて、
夏の農作業のあとのそうめんは両親にとって喉越しのいい食べ物だったと思います。
でも、あまりにも食べ続けてきたので、
さすがに今ではそうめんと塩サバは食べなくてもいいくらいの存在になりました
さて、塗られた柿渋が乾くと、床や柱がてかてかぴかぴかつるつるになっています。もちろん、かまどの煤で黒光りですが。。。
臭いけど床下からの冷感で板張りの床はひんやりして気持ちのいいものです。
みんなで寝転んでお昼寝タイムとなります
ところで、、、
毎年初秋になると
何故たくさんの柿渋を作ったかですね、、、小学校の校舎に渋ひきするためです。
当時木造だったので、夏休み最後の日曜日にはPTAの方々が持ち寄った柿渋で一斉に天然のワックスがけされてたんです
天井、壁、床、窓枠、渡り廊下の踏み板、机、椅子、下駄箱に至るまで全てが木製でしたから、ものすごい量の柿渋が必要だったと思います。
当時はまだゴム手袋がそれほど普及してませんでしたので、皆さん素手で雑巾に柿渋を浸して塗られてもいたので、もう両手はカピカピに渋がこびりつき、蝋細工のようだったと聞いています。
暑いなか大変な作業だったでしょう。
毎年9月1日、ぴかぴかつやつやの校舎で新学期を迎えることができたのもたくさんの方々のおかげです。
しかも当時でも珍しかったのでしょうか、柿渋塗りの木造校舎を記事にされたり、見学に来られたりしておりました。
L字型の2階建てで1学年ひとクラスしかなく、1階が低学年、2階が高学年の教室でした。
上靴がなくて、冬以外は裸足です
L字の短い辺の1階が給食室、家庭科室、理科室、廊下でその2階部分は全部講堂でした。
体育館がなかったので、各集会や行事、雨降りの体育授業はそこでやっていました。
私はこの講堂と階段の踊り場が大好きでした
広い板張りの部屋に両側にはたくさんの窓、雨降りの昼休みにはみんなの遊び場にもなり、飾りこそないけれど古い洋館のような場所でした。
そして階段の踊り場は黒光りするくらいぴかぴかで、窓から見える運動場の大きな銀杏の木が季節毎に姿を変えて楽しませてくれました。
どこもかしこもぴかぴかつるつるなのでとにかくよく滑ります
走ると必ずこけます
そのかわり床はスケートや滑り込みができるし、階段の手摺はソリができました
6年生の教室だけ2階の講堂の向かい側にあって(ちょうどL字の角です)、その間に階段が作られていましたので、教室を出ると階段側に手摺が並んでいて、危ないけどもそこに腰かけたりしてましたね。
海外だとここに大きなキルトを掛けたりするのでしょう。
もう本当に山暮らしのなかで唯一洋風を感じられる場所でした
危ないけれど楽しくて。
明るくはないけれど落ち着いた趣のある贅沢な学舎だったと思います。
子ども時代をこんな素敵な場所で過ごせてとても感謝しております
小学校は道路より下の川沿いで土地が低かったこともあり、ずいぶんあとですが水害で水に浸かり、高い土地に移転し新しく作られました。
取り壊しの前にたくさんの卒業生が集まったそうです
壊される前に広報紙に載った物を母が残してくれましたので、今でも手元に置いています
その後、コンクリートでできた校舎も廃校になり、今では一部を介護施設として利用されていると聞いています。
これで思い出話は終わります


さて、今回のクロスステッチは茗荷です。
以前の韮(にら)やハーブと一緒に作った図案です。
昔、実家にあった大きな柿の木の根元に繁っていた茗荷です。
増えもせず減りもせずそこにあるのが当然だったもの。
結婚して初めて知った、当然だったことへの有り難さ。
スーパーに並ぶ茗荷の高値に驚いたものです
今ある当然のことにもっと感謝しなければならないですね
今日も長文にお付き合いくださいましてありがとうございます