勇気は自己許容力

 

勇気ってなんぞ?

時折「勇気が欲しい」そう思う事がある。

玄関前に蝉がいる時、誰かに秘密を打ち明ける時、職員室に入る時、得体の知れない化物と戦う時、

そのどれもが何かに挑戦する時だ。そして何かしらリスクを感じる時だ。

リスクを飛び越えるための一歩、目的に到達する為の一歩を促してくれるものだ。

 

でもそもそも勇気ってなんだ?

感情か?自由とか善とか抽象的な概念の一種か?拒むとか蔑むとか行動の一種か?

何を持って勇気なのか?なぜ勇気が欲しいのか?

ツェペリさんはこう言っていたが、いまいちしっくりこないし納得もしてない。

だから自分なりに勇気の本質について考察してみた

 

 

前提として、勇気と無謀は全くもって別物だ

ツェペリさんもこう言ってるし。

つまり勝算もリスクも認識した状態である必要があるってこと?

よくわかんねけど

 

そして勇気には近しい概念があると思っていて、それが自信だ。

自信とは感情というか心の状態と言えるだろう。

これまでの経験をもとに「自分なら出来る」と信じる事ができる状態を自信があると表現する。

自信はこれまでの実績を参照してパラメータが決まるだろう。

では自信は勇気に直結するのだろうか?

否!自信は勇気を構築する上で重要な要素ではあるが、自信=勇気ではないと僕は考える。

どれだけ実力や頭脳明晰であっても、行動に移せる人と躊躇する人がいる。

学歴はあるのにブラック企業をやめられないサラリーマンとか、ツラは良いのに異性と上手く向き合えない男とか。

その差こそが勇気では無いかと考える。

では、勇気のパラメータは何を参照して決められるのだろうか?

 

僕が出した結論は失敗を受け入れること、成し遂げられなかった自分を許容できるかどうかだ。

つまり勇気のパラメータは自己許容力で決まるということ。

失敗を恐れずに大胆な行動ができる人がもし身近にいれば思い浮かべて欲しい。

彼らは「ダメでいいや」と言った開き直ったようなイメージがないだろうか?

その「ダメでもいいや」こそが自己許容力であり、勇気の究極の状態ではないのだろうか?

 

頑張ったけど失敗したダメな自分はもしかしたら、自分からさえも受け入れてもらえないかも知れない。

そう思うから行動できないのだ。

つまり「勇気を出す」とはあらかじめどんな結果も「許してあげる」と自分と約束をする「行動」だろうが!!

ツェペリさんの捉える勇気と僕の勇気は少し違うみたい、