「ラクして生きたらアカン」って、誰が決めたん?
なんか知らんけど、
(いきなり“知らんけど”で始まってもた)
罪悪感に押しつぶされそうなときない?
たとえばやけど、
☑️今日はちょっと手抜きしよ…って思っただけで「なんか悪いことしてる?」
☑️人よりちょっと早く帰ったら「ズルしたんちゃうやろか…」
☑️誰かに喜んでもらうと嬉しいけど、反面「私ばっかりラクしててええんかな…」
みたいな。
…なんやろな、
この“楽=悪”みたいな謎ルール。
誰も責めてへんのに、
勝手に自分で罪悪感抱えて、
勝手にしんどくなって。
そのうち、
「幸せ感じてる自分って、
なんかズルい気がする…」
とか思い出したら、
もう完全に罪悪感の
呪縛コース一直線や。
その罪悪感、ほんまにあなたのもん?
でもな、よう考えてみて?
「ラクすると誰かに迷惑かける」
「幸せになるって悪いこと」
って、ほんまに自分の本心なん?
ちゃうんちゃう?
どっかで刷り込まれてもうてるだけや。
たとえば、
「頑張らな認められへん」
「誰かより優先されたら悪い」
「親や上司の期待に応えなアカン」
そうやってずっと
周りの“空気”読んできたんやろな。
実は…ラクしてもええんやで?
あんたがラクしたって、
周りはそこまで
気にしてへんかもしれへん。
むしろ、
「ええやん、それくらい休んで」って
思ってるかもしれへんし、
「そのゆるさ、うらやましいわ!」
って感じてる人もおるかもやで?
ていうか、
しんどい顔して無理してる人より、
楽しそうにしてる人の方が、
一緒にいてホッとするし、
安心感あるやん?
「もう許されたい」って、本音を認めたっていいねん
ほんまは気づいてるんちゃう?
「もう、がんばりすぎるの疲れた」
「私も、ラクしても許されたい」
それ、本音やで。
出してええやん。
自分に言うたってええやん。
「私はもう、ラクしてもええ」って。
それが、自分をラクにしてあげる
第一歩や。
罪悪感を感じてるあなたへ
罪悪感って、
“優しいあなた”やからこそ
感じるもんやけど、
それに押しつぶされて、
自分を責めてるなら、
もう、手放してええねん。
誰かのために動ける優しさも
素晴らしいけど、
自分の幸せにもっと
正直になっていい。
「ラクしてもええやん」って
自分に許可出せたとき、
心がふっと軽くなる。
そんな罪悪感とさよならする為の
セッション、来月には再び
募集開始できると思うので
お楽しみに💗