今朝あまりにもおかしすぎて大笑いしてしまった。

 

ケアンズの空の水道の元栓が壊れてしまったのかな?と思うぐらいずーっと雨が続いている。

 

来月中旬のつぶつぶ料理教室のレッスン用にしめじを干さなければならないのだが、全然干せていなかった。

ところが今朝はお日様がにっこり。今だ!としめじを干した感激をインスタグラムにのせようと、その写真を撮った。

 

それがこれ。

 

 



 

そこにいた夫が私がとったすぐあと私の電話で同じように写真を撮った。


 それがこれ

 

 



 

あまりにも私の撮った写真がひどすぎて、大笑いしてしまった。私ダサすぎ!!!

夫の写真はさずがに美しい。

 

人ってこんなに違うんだ。同じことを、ほぼ同じタイミングでやったのでそれがすごく分かった。

 

私の写真をとる背後にあった気持ちは、しめじを乾かせたことをとにかく”早く”インスタで伝えたい。だったのだろう。

 

夫はとても芸術的。だから写真を撮るときに、光、構図、背景を考える。

 

私はいつも主語、述語、目的語で暮らしていて。夫は形容詞で暮らしているのかもしれない。

 

彼の趣味は写真、音楽作り、、、、で、クオリティ重視。私とは真逆。

 

私は自称 ダンドリ―ヒップボーン(オードリーヘップバーンにかけて)と言っているくらい、段取りが得意だったり、とにかくプライオリティーが早さなのだ。そして短絡的。

 

だから違うことを学ぶように夫婦として暮らしているのだといつも思う。キャンプに行って夫が撮った写真やビデオを見ると

「はて?こんなきれいな場所があったっけ?」と思うぐらい、見ている世界が違う。

 

 

でもこの写真を比べた時に、自分のダサさ、駄目さに大笑いができた。だから私はとても幸せなんだと思う。

 

若いころは自分より何かが得意な人を見た時、自分を卑下したり、羨ましがったりしていたと思う。


そうやって自分を卑下すると今度は逆に、自分を引き上げるために、人をけなして何とか自分を保とうとするという悪循環が起こる。

 

自分が笑えるというのは、斎藤一人さんがいう あきらめる=あきらかにする ということができているからなのこもしれないと思った。


自分が不得意なことを不得意だとあきらかにする。それが悪くも良くもない。ただそうなんだって。そうすると、私は不得意だから得意な人にそこはお願いするとか簡単にできるのかもしれない。


それは、自分も卑下せず、他人を羨ましがらず、その人の得意なことをほめられることになる。

 

皆必ず得意なこと、不得意なことがある。自分が得意じゃない時は得意な人、自分が得意ならそこに光をあてて褒める。得意じゃないことはあきらかにして、笑ってしまうと、なんだか世の中もっと楽しくなるのかもしれないなと思った。

 

今の私は、そんなダメな自分も結構いけてる自分も両方いとおしく思えるようにちょっとは成長したのかもしれない。

 

人はちがう。それでいい。いやそれがいい。