私は子供の頃からとても健康だった。風邪でも平気で学校に行き、帰ってきて親に言われて熱を測ると、なんと39度もあったほど。小学校は皆勤賞、中高続けて6年間皆勤賞を狙っていたのに、残念ながら風疹に罹り、3年間のみの皆勤賞でとても悔しかったのを覚えている。

 

好きなお菓子はコンソメパンチ。大学の頃はマックで注文するのはビックマックにビックシェイク。

記憶がなくなるまでお酒を飲んでも、翌日はへっちゃらだった。

お酒も飲み、タバコも吸っていたのに、練習もせずにホノルルマラソンを走るという若気の至り極まりない青春時代。

 

履歴書の健康状態の欄には自信をもって、”頑健”と書いていた。

 

オーストラリアに来る前に4年間住んでいたタイでは、日本食が恋しくなることは全くなく、毎日現地の人顔負けの辛いタイ料理を食べ、屋台で何を食べようが、食べちゃいけないといわれる飲み物にはいっている氷をガリガリ食べようが、コンデンスミルク入りのアイスコーヒーを飲んでも、お腹を壊したことはなかった。

 

だらか、健康のことをあまり考える必要がなかった。

 

そんな私を急変させたのが子育てだった。上の子供が生まれて、とにかく子供を健康に、なるべく自然に近い状態で育てたいと思っていたけれど実際にはどうしていいかわからずにいた。娘が2歳の頃、ママ友が東城百合子さんの「自然療法」の本を貸してくれた。

 

 

 

 

天は必要な時に最高のタイミングで必要なものを与えてくれるものだといつも思う。

 

その本を読んですぐに思ったのが、「一体どうしたらいいの?」だった。今まで普通に食べていたものはどうやら全部だめらしい。白砂糖や乳製品、白い食べ物、白米、白い小麦粉、食品添加物、電子レンジの害をしり、全てが目から鱗状態。知らなかったことだらけ。

 

かなり極端な性格の私は、そうときまったら徹底している。自然に近い暮らしを提唱するこの本に従い、まずは徹底的に玄米。白いパンを玄米パンに、白い粉から全粒粉。白砂糖から黒砂糖あるいははちみつ。肉は殆ど食べずという道まっしぐら。

 

子供が病気になったら、ビワの葉で作ったビワ葉エキス、こんにゃく湿布で肝臓、腎臓、脾臓の手当、足湯。

 

そうこうしている間にマクロビとも出会う。ここからはさらに徹底した玄米採食。

 

 

 

 

時間をかけてコーフーという、粉と水をパン生地のようにこねた物を流れる水の下で洗い流してグルテンだけにして、それを蒸して、煮て、衣をつけてあげるコーフーカツを作ったりしていた。もちろん、おやつも何もかも手作り。

 

お料理は大好きなので、手間暇はかかったけれど、どれもとても楽しかった。

 

肉の入ってないにくじゃがを作ったら、日本語がかなりできる夫に「ひにくじゃがだね。」と皮肉と非肉をかけた高度なジョーク

を言われたりしていた。

 

影響されやすく、人にも影響力をもっている私は、その都度、家族、友達を巻き込みまくったのだった。

 

子供はもちろん玄米より白米が食べたいのに我が家ではお寿司ですら玄米。そんな彼らは友達の家や日本に行くと、まるで戦後の食糧難の子供のように、白米をむさぼり食べて、恥ずかしかったのを覚えている。

この頃の私は本当に玄米信者だったと思う。

 

このマクロビ生活は10年ぐらい続くことになる。お陰で子供たちは大病することもなく、風邪や他の病気の時も一切薬を使わずに育ってくれた。

 

途中、ヨガをやっているので、アユルヴェーダに寄り道をしたこともあったが、基本的に玄米採食というのは変わらなかった。

 

 

つづく