大腸が無い右眼が無いそれでも笑って生きたようちゃんの850日

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13番染色体、ヒルシュ、網膜芽細胞腫など同じ病気の方はご連絡ください(*´ω`*)

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2017/09/18 お通夜の日
午後15時にお迎えが来て、陽生は葬儀場に運ばれていきました。
私達も後を追って葬儀場に向かい、陽生の写真を飾りました。
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陽生の大好きなおもちゃを並べたり、大好きなはらぺこあおむしの音楽を流しました。


この日は台風が来ていたのにも関わらず、たくさんの方に参列いただきました。不思議と陽生の通夜は雨も風も無く、傘を持っている方もいないほど。きっと、たくさんのお友達に来て欲しかったんだね。


2017/09/19 お葬式
前日から1日葬儀場でお泊まりして、陽生のそばにできるだけ居ました。陽生の棺の中にある本を読んだり、音楽を鳴らしてあげて、家族で最後の時を過ごしました。

朝からお葬式が始まり、もう陽生が火葬されてしまうんだ。と、思うとどんどん悲しくなって、涙が止まりませんでした。

棺を閉める前にみんなにたくさんのお花を入れてもらい、私達夫婦で、最後は胡蝶蘭の花を入れました。

参列者の方々が火葬場に行く前のお見送りをしてくれました。台風の影響はまだあったはずなのに、みんなが外にいる時は必ず雨は止んでいました。

バスに乗った途端に、ポツッポツッと雨がバスの窓に落ちてきて、本格的な雨が降り出しました。




火葬場に着き、最後のお別れをします。
最後に棺を開けてくれて、家族の写真を入れました。そして、最後に家族3人で写真を撮り、何回言っても終わりたくない別れを告げました。
そして、陽生は扉の向こうに運ばれていきました。

涙が止まらない私に、パパが寄り添ってくれて、泣き止むのを待ってくれました。それからたわいのない話をしていたのかな。きっとずっと陽生の話をしていたと思う。陽生の火葬が終わるまで、ずっとロビーで話していました。


火葬が終わり、名前が呼ばれ、もう骨になってしまった陽生を見て、「あ〜こんなに骨が残っていて良かった」と思いました。
大泉門がわかる頭の骨を見せてもらい、「ここ触って、よく脱水確認したな〜」とか、生前の事を思い出しました。
細かいのまで拾い上げ、陽生の火葬も終わり、みんなで葬儀場に帰りました。空はオレンジ色だったかな。


この日、私は見つけられなかったのですが、帰りのバスに乗っていた時間帯に虹が出ていたと教えてくれた方がいました。虹が出ると天国に行けるんだって。おばあちゃんが教えてくれました。陽生には何度奇跡が起きているんだろう。ドラマチック過ぎて、何回も泣いちゃうよママ。



2017/09/23
やっと報告できますが、第二子を授かっていました。予定日は陽生の誕生日の前日です。
またまた奇跡が起きた。悲しさばっかりだったママに、喜びをくれた事、本当に感謝です。きっと元気に産んであげるからね。
本当は陽生にきょうだいをつくってあげたくて、半年程頑張っていました。このタイミングで授かったことに、きっと意味があったんだと思います。このタイミングだったからこそ、私は陽生だけに尽くせていたし、つわりもまだ来ていなくて、最期まで一緒に居れて本当に良かった。
本当にありがとう。





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同じ病気の方、読者の方、応援してくださった方々、ありがとうございました。
ズボラな私のバラバラなブログでしたが、少しでも記録が残せて良かったです。
役に立つ情報が少しでもあれば幸いです。
ありがとうございました。