お葬式の前日、母親の荷物整理のために施設を訪問しました。弟も休みを取って車で来て、そのまま荷物を実家に運んで泊まって明日葬儀に出席する段取りです。改めてお世話になったお礼を伝え、母親の部屋の整理を始めます。不要なものは処分してくださるとのことなので、持ち帰る分と施設で利用してもらうもの、処分してもらうものを分けて、必要なものは車に積み込みます。持ち帰るのはほとんどが衣服ですが、詰めると予想以上にかさばります。
その日は施設で6年ほど過ごしたという方のお別れの会が開催されており、職員の方は準備でお忙しそうでした。夏は亡くなる方も多いとのこと。最後にもう一度ご挨拶をして施設を後にしました。
実家について荷物を家の中に運び入れ、荷物整理を開始。家に残っていたものも含めて可能なものはリサイクルするため、洗濯していないものは洗濯機へ。いろいろ考えると整理できなくなるので、勢いでより分けて片付けていきます。夕方には母の姉(既に亡くなっている)の旦那さんが来て飲み会をする予定になっていたのですが、洗濯が終わらず私だけ後から合流することに。
飲み会のお店は、生前母親もたまに来ていた家庭料理のお店で、コロナにも負けずに営業しているようです。数年ぶりに会うおじさんは、少し年取ったように見えましたが元気そうです。喪主の父親が飲みすぎないか気にしつつ、母親の若い頃の話などいろいろな話が出てきます。家に帰ってからアルバムを探してみると何冊か出てきました。あまり見たことがなかったのですが、家族みんな若い! 最近はすべてデジタルになっているので、アルバムは懐かし感じです。しかし、実家があるうちは置いておく場所もあるけれども、実家がなくなったらどこに保管するんだろう・・と現実的なことを考えてしまったり。
翌日は午前中からお葬式だったので、弟の車で葬儀場へ。公共の施設で火葬場の隣にあり、アクセスはあまりよくありませんが、割と新しい施設で綺麗です。花をたくさん飾って華やかな空間で、母親は綺麗になって安置されていました。もともと親族のみのごく少数での式の予定だったのですが、遠方の親族何人かがコロナ等を理由に参列できないということでかなり減ってしまいました。さすがに寂しいよねということで、親族以外で特に親しかった方々にもお知らせしたのですが、皆さんご高齢のためか健康上の理由で来るのが難しい状況の方が多いのには正直驚きました。ただ、皆さんお知らせを聞いて驚き、母親のことを悼んでくださってありがたかったです。
その後、弟の家族、昨日も会ったおじさん、そしてお坊さんも無事に到着し、式が始まりました。少しして私の幼馴染2人も来てくれてびっくり(彼女達のお母さん達向けにお知らせしたつもりだったので)。葬儀と初七日を一緒に行ったこともあり、お坊さんのお経はかなり長かったのですが、弟の子供達はちゃんと座って聞いていて偉かったです。出棺時には飾ってあったお花をみんなでお棺に入れ、母親はお花に包まれて旅立ちました。やっと安らかに眠ることができたのかなと感じました。
火葬の間に精進落としでランチ。以前は宴会形式だったものが、最近はコロナ対応でお弁当になっているそうです。子供達は相変わらず良く食べます。母親の陰膳も食べてもらって良かったです。1hほどしてお骨上げへ。小柄だった母親ですが、更に小さくなってしまいました。一連の流れが終わり、タクシーで骨壺に入った母親を実家に連れて帰ります。施設に入ってから初めての帰宅がこういう形になってしまいましたが、やっと帰って来られて良かったのかなと思いました。
さすがに朝からだったので疲れてしまい、父親とともにしばらく昼寝。ただ、昨晩の飲み会の際に小骨が喉に刺さってしまったらしく、痛みが続いています。ネットで少し調べてみたところ、病院に行くのが良さそうだと判断。ネット予約して夕方に駅近くの病院を予約して出かけました。病院は空いていて、少し待って診察。先生が直接見てもわからなかったらしく、小型カメラを入れられました。それでもわからなかったらしく、再度先生が詳細に見てくれてついに発見! 1㎝くらいのものが、わかりにくいところに刺さっていたようです。ずっと続いていた異物感がなくなってスッキリしました。しかし、今後は食べるときに気をつけねば。。
甘いものが欲しくなって、カフェでホットチョコレートを飲みつつホッと一息。そういえば、母親を旅行に連れていった後も疲れてここで休んだな・・などと思い出しました。あれは2年半前くらいだったのですが、ついこの間のような、ずっと昔のような。あの頃はまだ歩くことができていたのになぁ・・などと思い出します。
家に戻って父親と2人で夕食。小骨が無い普通の状態って快適です(笑) とりあえず、盛りだくさんの一日が終わりました。