お葬式が終わって一息ついたと思ったら、次は四十九日。仏壇は無しですが、小さなお位牌をWebで購入、四十九日の後はお寺ではなく、お寺近くのホテルのレストランで会食することにして予約。

お寺さんのHPに当日の持ち物が記載されていたので良く読んでみると、果物とお菓子と大きなサイズの花束が必要とのこと。

宗派によってかなり違うようです。当日引き取りで予約・・良く見ておいて良かった。。

 

当日は少し早めに父親と合流し、母親のスマホ解約と父親の契約変更のためにケータイショップへ。実家のインターネット契約が母親の名義になっていたので、諸々の手続きが必要だったのですが、いろいろ書類が必要でした。

ところが、時間になっても父親が来ない! どうも迷っているようで、TELするものの、どこに行ってしまったのやら。。やっと合流して手続きを開始したものの、時間がかかってしまって、お寺の集合時間に間に合うかどうか冷や冷やしました。

 

四十九日には、葬式には来なかった母の姉、九州在住のいとこのお姉さんも来てくれました。久しぶりに会いますが、元気そうで良かったです。

お寺には初めて来ましたが、割と立派なお堂とお庭、裏山にかけてお墓が広がっています。母のお墓は坂の上の墓地にありますが、そこからは街が一望できる良い眺めです。叔父のお墓参りに来て気に入ったというのもわかりました。無事に納骨して一安心です。

 

その後の会食は、お寺の最寄り駅から電車で1駅のところにあるレストラン。中華のコースでの会食ですが、個室が取れて良かったです。お酒好きな親戚なので、飲み過ぎ注意・・と思っていましたが、さすがに年齢も上がってきているので紹興酒1本ですみました。

 

とりあえずこれでひと段落・・というところです。

お葬式の前日、母親の荷物整理のために施設を訪問しました。弟も休みを取って車で来て、そのまま荷物を実家に運んで泊まって明日葬儀に出席する段取りです。改めてお世話になったお礼を伝え、母親の部屋の整理を始めます。不要なものは処分してくださるとのことなので、持ち帰る分と施設で利用してもらうもの、処分してもらうものを分けて、必要なものは車に積み込みます。持ち帰るのはほとんどが衣服ですが、詰めると予想以上にかさばります。

その日は施設で6年ほど過ごしたという方のお別れの会が開催されており、職員の方は準備でお忙しそうでした。夏は亡くなる方も多いとのこと。最後にもう一度ご挨拶をして施設を後にしました。

 

実家について荷物を家の中に運び入れ、荷物整理を開始。家に残っていたものも含めて可能なものはリサイクルするため、洗濯していないものは洗濯機へ。いろいろ考えると整理できなくなるので、勢いでより分けて片付けていきます。夕方には母の姉(既に亡くなっている)の旦那さんが来て飲み会をする予定になっていたのですが、洗濯が終わらず私だけ後から合流することに。

 

飲み会のお店は、生前母親もたまに来ていた家庭料理のお店で、コロナにも負けずに営業しているようです。数年ぶりに会うおじさんは、少し年取ったように見えましたが元気そうです。喪主の父親が飲みすぎないか気にしつつ、母親の若い頃の話などいろいろな話が出てきます。家に帰ってからアルバムを探してみると何冊か出てきました。あまり見たことがなかったのですが、家族みんな若い! 最近はすべてデジタルになっているので、アルバムは懐かし感じです。しかし、実家があるうちは置いておく場所もあるけれども、実家がなくなったらどこに保管するんだろう・・と現実的なことを考えてしまったり。

 

翌日は午前中からお葬式だったので、弟の車で葬儀場へ。公共の施設で火葬場の隣にあり、アクセスはあまりよくありませんが、割と新しい施設で綺麗です。花をたくさん飾って華やかな空間で、母親は綺麗になって安置されていました。もともと親族のみのごく少数での式の予定だったのですが、遠方の親族何人かがコロナ等を理由に参列できないということでかなり減ってしまいました。さすがに寂しいよねということで、親族以外で特に親しかった方々にもお知らせしたのですが、皆さんご高齢のためか健康上の理由で来るのが難しい状況の方が多いのには正直驚きました。ただ、皆さんお知らせを聞いて驚き、母親のことを悼んでくださってありがたかったです。

 

その後、弟の家族、昨日も会ったおじさん、そしてお坊さんも無事に到着し、式が始まりました。少しして私の幼馴染2人も来てくれてびっくり(彼女達のお母さん達向けにお知らせしたつもりだったので)。葬儀と初七日を一緒に行ったこともあり、お坊さんのお経はかなり長かったのですが、弟の子供達はちゃんと座って聞いていて偉かったです。出棺時には飾ってあったお花をみんなでお棺に入れ、母親はお花に包まれて旅立ちました。やっと安らかに眠ることができたのかなと感じました。

 

火葬の間に精進落としでランチ。以前は宴会形式だったものが、最近はコロナ対応でお弁当になっているそうです。子供達は相変わらず良く食べます。母親の陰膳も食べてもらって良かったです。1hほどしてお骨上げへ。小柄だった母親ですが、更に小さくなってしまいました。一連の流れが終わり、タクシーで骨壺に入った母親を実家に連れて帰ります。施設に入ってから初めての帰宅がこういう形になってしまいましたが、やっと帰って来られて良かったのかなと思いました。

 

さすがに朝からだったので疲れてしまい、父親とともにしばらく昼寝。ただ、昨晩の飲み会の際に小骨が喉に刺さってしまったらしく、痛みが続いています。ネットで少し調べてみたところ、病院に行くのが良さそうだと判断。ネット予約して夕方に駅近くの病院を予約して出かけました。病院は空いていて、少し待って診察。先生が直接見てもわからなかったらしく、小型カメラを入れられました。それでもわからなかったらしく、再度先生が詳細に見てくれてついに発見! 1㎝くらいのものが、わかりにくいところに刺さっていたようです。ずっと続いていた異物感がなくなってスッキリしました。しかし、今後は食べるときに気をつけねば。。

 

甘いものが欲しくなって、カフェでホットチョコレートを飲みつつホッと一息。そういえば、母親を旅行に連れていった後も疲れてここで休んだな・・などと思い出しました。あれは2年半前くらいだったのですが、ついこの間のような、ずっと昔のような。あの頃はまだ歩くことができていたのになぁ・・などと思い出します。

 

家に戻って父親と2人で夕食。小骨が無い普通の状態って快適です(笑) とりあえず、盛りだくさんの一日が終わりました。

母がお世話になっていた施設では、入居者さんが亡くなるとお別れの会が開催されます。高齢の方が多いのでお別れの会は割と頻繁に開催されているようです。母親も生前は参加する側でしたが、今回は見送られる側になりました。

 

広間には祭壇代わりの机が置かれ、花や施設でのイベントの際に参加した際の写真が飾られ、母親はその前に中央に安置されました。施設のヘルパーさんが司会進行を務め、母親の簡単な経歴、施設での生活の様子などの紹介後、お世話してくださったヘルパーさん数人から母親との想い出と送る言葉が語られました。身体の自由がだんだんと奪われていく中、頭はハッキリしているのでイライラしたり、時に不安を口にすることもあったようですが、そんな母に対して温かく見守っていただいたことがわかり、本当に感謝しかありません。

 

その後、入居者の方々が花を一輪ずつ備えながら最後のお別れをしてくださいました。ほとんどの方は認知症を患っていたり車椅子だったりするため、職員の方々の手助けを得ながらですが、最後の一時を一緒に過ごした方々にお見送りいただきました。最後は母親が好きだったという歌を2曲、参加者全員でアカペラで合唱し、1hほどでお別れ会は終了しました。

 

こういった見送りは施設の方々にとってはある意味日常なのかと思います。それでも「毎日お話ししていたのにもう会えないと思うと寂しい」などと言った言葉をかけてくださって、本当に優しい方々にお世話していただき、母親もここで過ごせて良かったと思うことができました。

 

施設関係以外の参加者は父と私、あとは母親の知人の中でも特に親しくしていた2人だけでしたが、温かい雰囲気の中で皆さんにお送りいただき、「これが葬式でも良かったのでは」と父親が言うほどでした。実際、このお別れの会をお葬式代わりにする方もいらっしゃるとのこと。ある程度高齢になっての葬式の場合、そもそもお声がけする人数は減るし、声をかけても高齢でお葬式に来るのも大変なので、最低限の方だけこの会に参列していただいてお葬式代わりにするのもありだな・・と私も思ってしまいました。


最後は皆さんに玄関まで見送っていただき、葬儀屋さんの車で葬儀場に向かいました。そこで綺麗にしてもらうなど準備をして葬儀の日を待つとのことです。最後に母親の顔を見て、お線香をあげて帰宅しました。明後日は弟が休暇を取って車を出せるとのことなので施設の母の部屋の荷物整理、その翌日がお葬式です。いろいろ慌ただしいです・・。

前回のブログを書いた翌日の土曜日の朝6時半頃に父親から電話。半分寝ながら出たところ、母親が他界したと施設から連絡があったとのこと。その日は弟一家と一緒に母親を訪問予定だったので、会うまではがんばってくれるかな・・と勝手に思っていたのですが、間に合いませんでした。救いだったのは、父がこの1週間、昼過ぎから夕方まで母親を訪問していたこと。昨日も来ており、母から「疲れるから早く帰って」と言われたのが最後だったとのことでした。
 

実家にしばらく滞在することになるだろうと思い、家を片付けてから荷物をまとめて施設へ。母親は、少し前に到着した父親と施設の方々に見守られて穏やかな顔で眠っているようでした。やっと苦しさから解放されて自由になれたのかなと感じられる顔をしていました。施設の方によると、昨日夜、施設の夜間巡回の方が最後に見回った際には特に異常はなかったものの、次に回った際にはもう息がなかったとのこと。気管切開も胃ろうもしなかったのでどうなることかと心配でしたが、結果的には眠るように旅立つことができたようで、本当に良かったなと思います。

 

弟一家が到着する前に、ヘルパーさんと一緒に体を拭いて薄化粧。母親は本当に肌が綺麗でつやつやだったのですが、ヘルパーさん達には「皺が全然なくてすべすべで羨ましいわ。美魔女ね。」などと声をかけてくださっていたのが嬉しかったです。その後、記憶を頼りに父親に指示して家に残っていた中から持ってきてもらった外出用の服に着替えさせました。身体が本当に痩せてしまっていていて、骨が当たって痛かっただろうなと可哀そうでした。ただ、クッションなどを入れていたおかげなのか床擦れはほとんどありませんでした。顔が痩せてしまったのは隠すことができませんが、痩せすぎの体形は洋服を着せたらあまり目立たなくなって良かったです。

 

父親はその間に葬儀屋さんに連絡し、コロナ禍の中、家族葬で1日葬でこぢんまりと執り行うことで調整。式場の空き状況から日取りが決定、父親が半年くらい前に購入した樹木葬のお寺に連絡したところ、住職の都合もついて葬儀を執り行ってくださるとのこと。その前に施設でもお別れ会を開催してくださるので、その後に葬儀場に母親を移動するのでその段取りもしつつ、近親者に葬儀日時の連絡など慌ただしいです。弟一家が到着し、施設での最後のお別れをし、近くのファミリーレストランに移動して遅めの昼食。子供たちの食べっぷりが気持ちいいです。グルメだった母が食べられなくなっていったのを思い出し、美味しく食べられるって幸せだよな・・としみじみ。

 

その後、実家に帰って葬儀屋さんとの打ち合わせ。お花や写真、お弁当、香典返しの手配など決めることがいろいろ。何せ初めてのことなので、促されるがままに決めていきます。小規模なのでそこまでではなかったですが、参列者が多いと大変だろうなと実感。その打ち合わせが終わって、やっと一息・・さすがに疲れました。

 

夜は父親と2人で晩酌。Endingノートのようなものがあると勝手に思っていたのですが、何もないとのことでびっくり。父親曰く、考えたくなかったのではないかとのこと。それでも父親は母親と話して連絡する人の簡単なリストを作っていたのですが、それでは明らかに足りないのがわかります。お知らせしたら来ないわけにはいかなくなる、皆さん高齢になって来るのも大変だろうから、葬式後にお知らせすればいいという父親。母親は、自分の元気な姿だけを覚えておいてほしいということで、施設に入った後は誰にも会わずに旅立ったのですが、直前までLINEやメールで気にかけていてくださった数人にはご連絡することにしました。こういう病気でなかったら違ったのかなとも思いますが、なかなか難しい問題です。

8月の頭になって、母親が少し体調を崩したので週末のランチは無理かもしれないと施設の方から連絡がありました。

それならヨーグルトなどの食べ物を置いて顔を見て帰ろうということで父親と訪問。

 

だんだんと症状が進行しており、少し前にトイレに行くことをやめることになっていたと聞いていたので心配していましたが、見た目にはまだ元気そうで少し安心しました。

母親は、自分でトイレに行くことには最後までこだわっていたのですが、そうするとトイレをずっと気にして過ごすことになるのと、また、かなり体力を使うこともあるので、そこの心配をせずに過ごす方がいいのではないかとヘルパーさんから提案され、母親も受け入れたようです。そして、歯磨きも手伝ってもらうことになっているとのこと。

だんだんとできなくなることが増えてしまうのが本当に辛いです。ただ、訪問中はずっと横になったままでしたが、私たちが帰ってから食堂に行って昼食をとるとのことでした。

 

ところが、それから3日後に父親のところに連絡があって、食事を取らなくなって口にするのは水だけになっているとのこと。

週末に訪問すると、口元にストローを入れたボトルを持っていくと自分で水を吸って飲むことはできていますが、前の週と比べると一気に弱った感じがしてびっくりしました。

ヘルパーさんも巡回する回数を増やしてくださっているようなのですが、来てほしいタイミングで来てくれるわけではないので、「なかなか来てくれない」と何度も口にしているのを聞いて切なくなってしまいました。

 

施設の方曰く、以前はいろいろな不安感がとても強かったが、今はそれが少し落ち着いているように感じるとのこと。

ずっと見てくださっている方々がそうおっしゃるなら、そうだといいな・・と願うばかりです。

単身赴任していた弟が異動で戻ってきたので一緒に訪問。女の子を連れてきました。

母親は、以前よりも疲れるようになってきています。まだランチは一緒に食べていますが、座っている時間が短くなってきました。

お気に入りのカップラーメンはまだ食べることができていますが、以前より食べにくそうになってきているのが気になっています。普段は食が細い姪っ子だそうですが、カップラーメンはものすごく美味しそうに食べていました。それを見て「羨ましい」と言っていたのが切ないです。なんとか食べられる生活が続くように願うばかりです。

また、お手洗いに行くのも手伝いが必要になっているとのことで、だんだんと症状が進行していることを思い知らされます。

本当に辛い病気です・・。

オミクロンも落ち着かないのにロシア問題まで加わって、社会はまったく落ち着く兆しがないまま、あっという間に年度末です・・。

そんな中での私の転職。母親の心配性を刺激しないために転職のことは黙っていようと思っていたのですが、母親は私の元の勤務先の将来を心配していたことが判明。父親が転職の話を伝えると安心して喜んだとのことで、ちょっと拍子抜けしました。

 

弟の長男が無事に中学受験を通過して小学校を卒業したので、久しぶりに弟一家が全員で母親を訪ねてきました。万が一コロナに罹ったら・・ということで、この1年受験が終わるまで長男とは会っていなかったので、久々に全員で会うことができて良かったです。
ただ、これまでだったらランチを皆で一緒にランチをしていたところ、母親は疲れるから・・といって、短時間の面会だけにしてほしいとのこと。孫に会えるのは嬉しいのでしょうが、かなり体力が落ちているようです。それでも天気が良く、久々にテラスに出て日光にあたりながらみんなでおしゃべりができたので、気分転換になったかな・・と思います。

 

母親は、起きて車椅子に移動するのも一人では難しくなり、ヘルパーさんを呼ぶようになっています。また、食事がかなり食べにくくなっていて、固いものはダメ、やわらかいお刺身のようなものも小さくして渡すようになりました。それでも、お気に入りのカップラーメンを少しづつでも食べることができているので良かったです。それにしても、最近のカップラーメンはお湯を入れるだけなのにインスタントとは思えないくらい美味しくてびっくりします。なんとか食べられる生活が続くように願うばかりです。

あっという間に年末になってしまいました。施設で迎える2度目の年末年始です。

また今年もコロナが続いているとは昨年は想像していなかったですが、、

 

母親の病状はだんだん進行しているようで、朝夕の着替えは手助けが必要になっています。

要介護度も上がり、その知らせを受け取った際には本人もすごくショックを受けたようですが、その分だけ手伝うことができるようになったということだから、と施設の方からは前向きに受け取るように伝えていただいたようです。

 

また、痰がでやすくなって飲み込みもしにくくなっているため、食事にもかなり制限が出てきています。

それでも、父と私が母親の好きな食べ物を持っていく週末のランチは続けています。

冬は寒くて無理ですが、気候がいいシーズンにはテラスに出て日光を浴びながらランチを取ることができると気分も明るくなります。

今はまだ、母親は気を付けながら食べることができているのが救いです。この習慣をできるだけ長く続けられればと願うばかりです。

7月も一度、弟が子供2人を連れて面会に来ました。そのうちの一人(女の子)が7月に誕生日だったので、ケーキとプレゼントを準備してお祝い。

プレゼントはゆめいろリカちゃんというリカちゃん人形です。弟が準備して持ってきて、それを祖父母からと言って渡しました。私が子供だった時からいるリカちゃんですが、このゆめいろリカちゃん、温度によって髪の毛の色が変わるのです! 最近のリカちゃんはすごいねぇ・・と子供たちが遊んでいるのを一緒になってみている母も楽しそうでした。

 

その時には割と元気だったのですが、予定があって訪問できなかった週を挟んで2週間ぶりに母親を訪ねたところ、前日に熱が出ていたとのこともあり、一気に弱ってしまった感じがしました。これまで手元になかったナースコールも導入されていて、施設の方から見ても手伝いが必要な状態と判断されたのだなと思いました。

 

まだ元気だった昨年は、週2日のお風呂では暑さに弱くて汗っかきな母親は気持ちが悪かったようで、私が見守ることでプラス1日シャワーを使えるようにしていただき、なんとか自分でシャワーを浴びることができていたのですが今年はもう無理・・だんだんと自由が奪われていく様子が悲しいです。

それを一番実感しているのは母親自身で、これまでできていたことがだんだんできなくなっていく悲しさと怖さを感じているのが伝わってくるのですが、どうしようもなく・・本当に辛い病気です。

 

他の方のブログなどを拝見し、本当にこの病気の進行速度は人によってそれぞれなのだということ、そして、母親の進行は遅い方なのかなと感じています。一緒に過ごせる時間を大切にしないと・・と思います。

期間限定で公開されているALSに関する動画を教えていただきました。

長かったので何回かに分けて視聴しましたが、とてもよくまとまっていて参考になりました(期間限定なのが残念です)。

ALSのケア体制が整っているようなので、ここがもう少し近かったら安心だったのに・・と思いました。