母が施設に入居したのは昨年5月の初め、それからコロナで世の中が落ち着かないでどこにも行けない生活が続く中、週末に一度、父親と一緒に施設を訪問する生活を続けて、あっという間に1年が経ちました。

5月の初めには、単身赴任中の弟が子供2人を連れて面会に来ました。家族もいて忙しいのに、帰宅するたびに会いに来る弟はえらいな・・と思います。母は、孫たちに会えるのはうれしい反面、かなり疲れるというのも正直なところのようですが、、

子供たちのためと、少し早いですが5月末の母の誕生日のためケーキを買ってお祝いしましたバースデーケーキ。子供たちはホールケーキに大喜びで楽しいひと時でした。
 

施設の庭では4月には桜が綺麗に咲いていて、テラスでランチをしながらお花見ができました。ふと、去年はこの桜の後に入居したんだな・・と思ったり。

それにしても、一年後にまだコロナが落ち着かない状態だとは正直想像していませんでした。

 

この一年、母の病状は少しづつ進行しています。

入居した頃はまだなんとか歩くことができていたのですが、今は車椅子がないと移動できませんし、手も動かしにくくなっているようです。

また、疲れやすくなっていて、食事のために食堂に行く以外は、ほとんどベッドに寝て過ごしているようです。

 

痩せたためか腰の骨が出てきて、車いすに長時間座っていると痛いようでタオルをクッションにしたり、寝る際にも寝る向きを工夫してなんとかやり過ごしているようです。

ジェルクッションを見つけて買って持っていったのですが、これはあまり効果がなかったようで、結局私が在宅勤務時に使うことに・・。

だんだんと状況が変わるので、その変化に応じて対応するしかなさそうです。

それでもまだなんとか身の回りのことは自分でできているので良かったです。


テレビは不要と言っていたのですが、父親が小型のものを調達して半ば強引に設置してからはたまに見ているようなので、これは買って良かったかなと思っています。

母親は整理するのも大変なのでモノを増やしたくないようですが、生活していくとだんだんと増えていきますね。

施設に入居してから母親からいろいろな買物を頼まれるようになりました。

季節が変わって着るものがない、甘くないお菓子が欲しい、目薬が欲しいなどなどです。父親に言ってもなかなか通じないことも多いので娘にに頼む気持ちはわかります。

 

着るものに関するリクエストは病気の進行に伴って変わってきています。最初は一人でなんとか歩くこともでき、脱ぎ着も問題なくできていたのですが、だんだん腕や手の動きが悪くなって着替えるのも大変になってきたようです。それに伴い、着るものもゆったりして伸縮性のあるものがいいと言うようになりました。ただ、リクエストが抽象的なことが多いので、通販カタログを一緒に見てネット注文、そのまま施設に届くよう手配をするようになりました。

 

母親のリクエストに応えながら、子供(それも娘)がいるといろいろ頼むことができるけれど、いなかったらどうなるんだろう・・と自分の将来と重ねて考えてしまいます。施設の方に頼むのか、でも忙しい方々に何度もそんな細かいことを頼むのも気が引けるだろうな・・とか。頭がはっきりしている母親もそうやっていろいろと考えてしまっているのだろうと思うと切ない気分になります。

 

一度体をひねって腰のあたりを痛めてからは、着替えを手伝ってもらうようになったとのこと。職員の方が来てほしいタイミングに来てくれるとは限らないため、母親は不満のようです。これまでは自分のやりたいように自由にできていたことができなくなってストレスなのだろうと理解はできるので、私と父親はとにかくその不満を聞くだけです。

施設に入った頃はまだ何とか歩くことができていたのですが、だんだんと車椅子に頼ることが増えていきました。最近はベッドに横になっていることが多くなっていて、少しづつ症状は進んでいることを感じさせられます。
 

食事がおいしくないという母親のため、訪問する際に父親が納豆とヨーグルトを買って持っていくのが習慣になりました。最初は部屋に冷蔵庫を置いていなかったので、共同の冷蔵庫に入れていましたが、そこまで行くのが大変になった母親のため、7月に小さな冷蔵庫を購入しました。霜の処理をする必要がない冷蔵機能のみの小さいものですが、部屋にあると便利のようです。あまり食事で出されない生のフルーツや気に入ったゼリーなど、スペースを気にすることなく置いておくことができるので、購入して良かったです。

 

母親は、なるべくモノは増やさないようにしたいということで、部屋にはテレビは置かずにラジオのみの生活です。それでは退屈かもしれないと思い、私の判断でタブレットを購入することにしました。その際に映画見放題のサービスでも契約しようかと思ったのですが、疲れるので見ないから不要だとのこと。そのため、何も契約はせず、YouTubeを見やすいように設定して渡しました。

 

最初は使っていたタブレットですが、充電するためにケーブルを抜き差しするのが固くて大変、充電に時間がかかる、電池がすぐになくなる等々ということで、しばらくするとほとんど使われなくなってしまいました。確かにそういったことを聞くとバリアフリーではないな・・と思いましたが、とにかく後ろ向き発言が多いのには少々凹みます。

 

母親とは以前から使っているスマホのLINEで連絡を取っています。新しいことに対しては慣れることができず、かえってストレスになるようです。これも病気のせいなのかわかりませんが、とにかく環境を変えないのが良さそうだと感じています。

施設に入所してからは週末に一度訪問しています。コロナでも訪問が禁止されていないので、本当に良かったです。慣れない生活で家族も面会ができないとなったら、慣れるまでに更に時間がかかっただろうな・・と。

自由に動けなかったとはいえ自由だった家の生活に比べると、施設での生活には言いたいことが出てくるようで、最初の頃はいろいろと愚痴を言われました。

 

まず食事について。食事は施設で調理して提供されていて、私たちはそれなら美味しいだろうと思っていたのですが、高齢者向けのメニューや味付けのためか母親の口には合わないらしく「美味しくない」とのこと。特にランチは前に出た食事の形を変えて出すことが多いようで、ランチは食べる気が起きないとまで言うほどです。。

 

そのため、週に一度の訪問の際はランチ用に駅ビルの店で美味しそうなお惣菜などを購入して持参し、一緒に食べるようになりました。

訪問は禁止されていませんが、コロナもあるのでなるべく他の方々との接触を減らすべく、天気が許す限りはテラスで食べています。施設ではアルコールも特に規制されることもないので、ワイン🍷や日本酒🍶を持参して食事と一緒に飲んでいます。

 

それから、最初から分かっていたことですが、入所者の方はご高齢の認知症の方がほとんどなので、母親と話しができる方がほとんどいません。スタッフの方はやはりお忙しいので、入所したてということで気にかけていただいているものの、何とか身の回りのことができている母親のことは後回しになっていたこともありそうです。
 

父親と私からすると言いがかりでは、、と思うような内容もありつつ、母親の気持ちを考えると無理もないか・・という気がしました。基本的には話を聞くだけしかできませんでしたが、話すことで少しでも母親の気持ちが落ち着けばいいなと思って聞いていました。

入居は5月の初めに決まったので、それまでの間に持ち物などいろいろ準備をしました。いつもの私ならGWは旅行に行っていたところ、コロナでどこにも出かけられなかったため、結果的に準備時間が十分とれたことは良かったのかもしれません。

パジャマに部屋着、下着、靴下、タオルなど、必要となりそうなものは家にあるものの中から母親と一緒に選びます。ただ、体調が悪くなってからは買い物にもあまり行かなかったということで家にあるのは割と古いものばかり。そして、おしゃれな服はもう着られないから・・と持っていく選択肢にも入らず、綺麗にして出かけていた頃を思うと少し悲しい気持ちになりました。

入居当日は、父親の運転する車に荷物を積んで向かいました。正直私は、80歳手前の父親の運転する車には怖くて乗りたくないのですが、そうも言っていられません。無事に到着、スタッフの皆さんに挨拶をして荷物を部屋に運んで荷物整理を始めました。

コロナのため、他の入居者さんやスタッフの方とはなるべく接触しないように心掛けつつ・・。

 

母親が暮らすことになる施設はL字型をした2階建ての建物で、L字型の一方、陽当たりのいい南向きの場所は台所と食事場所、居間を兼ねた空間になっています。もう一方は東西に延びる廊下に沿って部屋が向かい合っていて、母親の部屋は2Fの東向きの一番端っこになりました。角部屋ということで人があまり通らないのはいいのかなと思ったのですが、陽当たりがよくないのが気になりました。ただ、場所は空いた場所次第なのでこればっかりはどうしようもなかったのですが。


部屋にはあまり物を増やさないようにしようということでしたが、それでも小さな棚くらいは必要だろうということで、通販で探して施設に直接配送を手配したものも届いていたので良かったです。夕方までには何とか片付けを終え、父親と二人、施設を後にしました。2Fの窓から私たちを見送る母親の姿を見ると寂しくて、何でこうなったんだろう・・とどうしようもなく悲しい気持ちになりました。

コロナが騒がれだしたのが2020年1月、その後2月のダイヤモンド・プリンセス号横浜入港の頃もまだ他人事でした。施設見学も問題なく行くことができたのですが、今から思うとぎりぎりのタイミングでした。その後、コロナが拡大するにつれ、呼吸器系にも影響がありそうなALSの母親がいることを考えると実家に帰っても大丈夫だろうか・・と気になり始めました。

 

私の勤務先は割と早くから対応をはじめており、在宅勤務や時差通勤が増えていたのでリスクは低いとは思っていたものの、万が一自分が感染源になったら・・と思うと不安でした。ただ、実家に帰らないのもまた違う意味で不安だったので、結局、帰るけれども宿泊はせず、滞在中はなるべく窓を開けて換気をするというところに落ち着きました。

 

コロナ感染拡大に伴う自粛生活の広がりで週末に出歩くことが減ったため、結果的には実家に行く時間ができました。通常であればGWや夏休みには長期旅行に出かける生活をしていたはずなので、コロナがなければこんなに頻繁に実家に行かなかったのでは・・と思うと、ある意味コロナのおかげかもしれません。また、週に一度は両親に会う生活だったので、StayHomeでもそんなに孤立感を感じずに済んだように思います。

 

オリンピック、パラリンピックが延期になり、GWの都心は本当にゴーストタウンでした。

母親のことも含め、現実とは思えないことが実際には起こるものですね・・。

母親が自宅生活は無理と判断し、施設に入るので探してほしいと言われて探し始めました。両親は、その前にALS患者を受け入れている施設を見学してきたそうですが、そこは気管切開と胃ろうが前提のため、食事の提供は基本しないなど、気管切開も胃ろうもしないという母親の希望とは合いませんでした。

 

ALSを患っていると受け入れてくれる施設は少ないことも分かっていたので、施設探しには外部の方の力を借りました。実家の父と私が通える範囲でALS患者を受け入れてくれる施設を紹介してもらい、2020年1月に見学に行くことになりました。父親の運転で母親を連れて最初に見学した施設が立地的にも条件が良い場所でした。ただ、お話を伺うと、その他の入居者の方はほとんどがご高齢で認知症とのこと。70歳の母親が一番若いということになるので退屈しそうだなと思いましたが、実家でも父親と訪問介護の方以外でほとんど人と会うことがない生活になっていたので、実質的にはあまり変わらないのかな・・とも。

 

また、ALSの患者を受け入れたことはないとのことで、今後母親の症状が進んだ際に適切に対応していただけるのかなど不安はありましたが、スタッフの方々の雰囲気は明るく、母親も好感を持ったようです。同日にもう1件、少し遠い施設に見学に行くことになっていたのですが、疲れたので一人で行ってきてと頼まれました。その時点で母親はこの施設でいいと思っていたのだろうと思います。

 

もう1件は、実家と私の家からアクセスは悪い場所でしたが、施設の運営方針などは共感できるものでした。こちらの入居者もご高齢の方が多いという点では1件目と同様でしたが、施設長の身近にALS患者さんがいたということは安心材料でした。ただ、アクセスの問題が大きく、1件目が第一候補となりました。

 

その後別の日程でもう1件、料金はかなり高いものの、その分ケアも手厚そうな施設も後学のために見学させてもらいましたが、あまりにこれまでの生活空間と雰囲気が違うので、母親がかえって気後れしそうだと感じました。施設も本当にいろいろあるんだな・・ということが、実際に見学してお話を伺ってわかりました。入ってしまったら施設を変わるのは大変なので、選ぶのは慎重にする必要がありますが、いくら慎重に選んでも実際のところは入ってみないとわからないだろし、難しいなと思いました。

 

その後、施設の運営者の先生がいらっしゃる際に両親とともに1番目の施設を訪ねてお話しをした際には、まだしばらく自宅で生活ができそうなので様子を見ましょうということになりました。その後、4月までは在宅でがんばっていたのですが、症状が徐々に進行して自宅での生活が難しくなったと両親が判断、4月中旬に施設に空きが出たけれどどうするかと聞かれたので入居を決めてきたと知らされました。


コロナで大変な時期でしたが受け入れを断られることもなく、5月の連休に入所。その後は、他の入所者さんと極力接触しないよう、訪問時はベランダで過ごすか母親の部屋に籠るという制約はありますが、週末に父親と一緒に面会に行くことができています。

母親の病気が判明してから、動けるうちに家族で旅行に行こうという話になり、車で行ける範囲のバリアフリーの温泉旅館を探しました。

2019年12月にはまだ、なんとか助けを借りながらマンションの外階段も休み休みですが上り下りできていました。ただ、長時間の移動には車椅子が必要になってきていたので、バリアフリーでないと厳しくなっていました。今までバリアフリーなど気にしたこともなかったので、「バリアフリー」「温泉」をキーワードに検索した結果出てくる旅館が少ないことに驚きました。また、よく読んでみると完全なバリアフリーと言えないところも多そうな感じで、これからの本格的高齢化社会になったら全然足りなさそうだなと思ったりしました。

 

この病気のせいなのかどうかは不明ですが、病気になってから母親は性格が変わってしまったような部分があると感じています。以前はそこまで心配性ではなかったのに、何をするにも心配が先に立つようです。そのため、何を決めるのにも心配が先に立つので決められず、「どうしよう」「どうしたらいいだろう」というのが口癖になりました。旅行の際にも、高齢の父親の運転で母親を助手席に乗せて出発しましたが、座っているだけで疲れるのに加え、カーナビが古いために道に迷ったりしたのも神経に触ったようで、助手席にいると落ち着かないと言うので後部座席の私と座席交代するなどしてどうにか宿に到着しました。

 

ウェルカムドリンクをいただいてチェックイン、車椅子を借りて部屋まで行って一休みしていたところ、弟の同級生のお母さんが突然亡くなったという知らせが入ってきました。その方はずいぶん前に田舎に戻っていたのですが、寒い冬の夜、お風呂場でヒートショックで亡くなったとの連絡でした。

 

周りからすると、何の前触れもなくいなくなってしまうのは辛いし、その後もいろいろと大変だろうと思います。母親のように宣告されると覚悟せざるを得ないし、それでもなんとか楽しく過ごそうと努めることはできるので、ある意味では幸運と思うべきなのかもしれないな・・と考えてしまいました。ただ、自分が本人だったらそうは思えないかもしれませんが・・。

 

旅館は部屋の中は車椅子は使用できませんでしたが、まだ何とか歩くことができたので問題はありませんでした。お風呂場には椅子が置いてあって手すりもあり、床も柔らかい材質だったので安心でした。日曜の宿泊だったので人も少なく、母親と一緒にゆっくり入ることができて良かったです。

 

翌日は、天気も良かったし、私が小さい頃に家族で来た場所ということなので(私は覚えていなかった。。)少し観光できればと思ったのですが、少し歩いたところで母親が疲れたので帰りたいというので、早々に帰途につきました。それでも途中で道の駅に寄って買い物などしてから無事に実家に到着、母親を送り届けた後、翌日から仕事だった私は自宅に戻るために実家を後にしました。帰宅途中にどっと疲れを覚えて無性に甘いものが欲しくなり、カフェに寄り道してしばらくぼーっとしていたことを思い出しました。

 

健康ならまったく気にしないで過ごしていることが、体が不自由だといろいろと障害になるんだということを改めて認識しました。また、1.5日一緒にいただけでこんなに疲れるのだから、毎日面倒を見ている父親はさぞかし疲れているんだろうな・・とも。そして、外階段の上り下りがかなり危なっかしい感じになってきているので、訪問看護を受けながらと言っても、このまま実家で両親二人の生活を続けるのはかなり厳しいだろうなと感じました。

大学病院で母親がALSと診断された後、個人病院を紹介され、自宅での生活が始まりました。

最初は父親の運転で週に一度通院してラジカット投与を受け、その後は在宅で投与を続けながら身の回りの整理などをしていたようです。

 

難病認定を受け、訪問介護の助けを受けながら3か月ほど過ごしていましたが、エレベーターのないマンション、さらに家の中にも階段があって・・とバリアフルな環境で高齢の父親が介護する状況では生活もままならなくなるという状況が見えていました。

症状の悪化も自覚していた母親は11月には施設に入るという決断をしたようで、施設探しを頼まれました。

 

私が家を出てからはずっと父親と2人の生活で母親が家事を行っていましたが、母親の体調が悪くなってからは父親も家事を手伝うようになっていました。娘の私からするとかなりがんばっているように見え、父親の方が倒れないかと心配になりました。

母親はできることはやろうとしていたようですが、症状が進行していくに連れて家事をこなすことが難しくなっていき、父親に頼ることが多くなっていきました。しかし、それまでほとんど家事をしてこなかった父親が上手くできるはずもなく、母親のイライラはつのるばかり。

私も週末には帰って手伝ったりしていましたが、平日にTELがかかってきては愚痴を聞く日々でした。

 

母親は、ALSという診断をされてすぐ、気管切開も胃ろうもしないという決断をしていました。

これまで娘の私から見ても好きなように楽しく生きてきた母親なので、好きなものも食べられず、自由のきかない状態になってまで生きるという選択は考えられないようでした。

この決断については、私も同じ状態になったら同じ選択をするだろうと思ったので、その選択に異を唱えることはしませんでした。

ただ、周囲に病気のことを知られるのをとても嫌がり、誰にも言わないでくれと言われてしまったため、限られた親戚以外には基本お知らせしていません。本人の希望とは言え、ほんとにこれでいいのかな・・と正直悩むところもあります。

はじめまして。

70歳の母親が2019年秋にALSと診断され、2020年5月に施設に入居しました。

一人でいろいろ考えてしまうだけだと暗くなるので、新年を機にブログを始めてみることにしました。

 

思い返せば、おかしいところはいろいろありました。

70歳の母はそれまで健康そのもので、毎日のようにスポーツクラブに通ってエアロビなどに参加していましたし、海外旅行や登山にもたびたび出かけるなどアクティブに過ごしていました。

 

それが、2018年の夏に両親と旅行に行った際には、それまでの母親だったら問題なく登れていたであろう低い山に登れずに途中で待っていると言うのです。その時には体調が悪いのかな・・くらいで特に気にしませんでした。

その後、2019年新年に泊まった旅館で、何でもないところでつまずいて転びました。その時にも、元気だけれどもやはり年だししょうがないのかなと思っていました。

 

母親は体調悪化についておかしいと感じて2018年からいろいろな病院に行っていたものの、原因はわからないまま時間が経過していったようです。

 

私は実家から離れて暮らしており、そんなに頻繁に会うことはなかったのですが、2019年8月に会った際には手が震えたり、歩く際に誰かにつかまらないと危ないような状態になっていました。その一気に悪化した様子を実際に目にしてびっくりしてネット検索・・個人的にはパーキンソン病を疑いました。

それでも父親の手助けでなんとかバスと電車を使って都心まで外出して外食することはできていました。

 

その後、9月の終わりに大学病院に入院して検査を受け、10月の初めにALSと診断されました。