このブログでは私自身が人前で話す勉強を通して自分を信じる、つまり自信をつけてきたことや、その技術・視点を、読んでくれている方々に分かりやすいように書いています。
 
ですが。
「能城さんは、人前で話す勉強をしたことで自信が付いたんですね」と言われると・・・厳密には違いますと答えるでしょう。
 
確かに、学んで実践して周りに認められることで人前で話す自信は付きました。でも、それは「周りに認められたから」という、条件付きの自信でした。そこから例え周りにどういわれようが自分を卑下しなくなったのは、実はこの勉強を切っ掛け・下地として、古武道の稽古を通しての意識の変化や、変身メガネによる感覚の調整、多くの人との出会いや経験が絡んで来ているのです。
 
でもそれを初めから細かく書くより、まず多くの人が、切っ掛けとなった人前で話すことを学ぶことに興味を持って欲しいからいうことで書いています。
 
本来、事実というものは複雑に絡み合っています。
 
しかし、それを誰かに伝える時。自分自身の培った経験、価値観、思想を元に構成された実感を、他者が正確に理解することは大変に困難です。
 
だから、人は分かりやすさを求め、信じようとします。
 
そうすると、話し手はどうしても「分かりやすさ」を重視せざるを得なくなります。どんなに正確に伝えても、相手に理解されなければ意味が無いわけですから。
 
でも、気を付けなければならないのは、
分かりやすい物語とは、それを構成する無数の事実が削られているのです。
 
何故、分かりやすいか。
その理由が多くの人に理解してもらいたいからなら良いのですが、都合の悪い事実を隠したい、敢えて触れないことで騙したいからということも有り得ます。
 
「かたる」とは、「語る」ことのみならず「騙る」ことにもなり得ます。
 
”分かりやすい”の裏側には意図が有ります。その意図を見ないままでは、時に多くの事実を見落とします。
 
何故、分かりやすいのか、今一度その意図を考えてみませんか。


語学(日本語)ランキング