今週末関西に用事があったので、その前後を利用して仏像巡りw
先々週行った「東大寺大仏」展、秘仏と言える名品が出品されていたことは評価するけど、大仏自体の紹介は(現物がないこともあって←無理だよねw)、自分的には隔靴掻痒の感を免れず。そこを補足するために、奈良行きを計画。
基本、現場ヲタなんでw
プランとしては、
(1)東大寺大仏へ至るブロンズの巨像造立前史として、完好な状態で残る「蟹満寺釈迦如来坐像」を見に行く。
この像は通常白鳳時代の作といわれ、様式的には初唐様式を濃厚に示している。小金銅仏はともかく、丈六の巨像を造立するには当時の権力者の関与なしには有り得ないが、その辺りの経緯についてはよく判らない。
そんなこともあって、一般には殆ど知られていない仏像。
所在地も京都南部、JR奈良線というローカル感溢れる路線の、更に棚倉という鄙びた駅から徒歩15分位の所。ブロンズの巨像で移坐は難しいから、展覧会に出展されることは基本有り得ず、所在地に行くしかない。しかも、最近本堂の改修を行っていたので、現地でも見られない状況だったりしたので、まぁ個人的には見るのが懸案だった仏像w
(2)プラン2は、聖武の大仏建立を支えた光明皇后の周辺を調査。いや探偵じゃないけど。
ちなみに、東京国立博物館の「東大寺大仏」展も光明皇后1250年遠忌を記念しての企画。
で、光明皇后の父親の藤原不比等の屋敷を寺にしたという法華寺、そこの十一面観音立像は光明皇后をモデルに刻まれたという伝説を持つ。
秘仏であり、年間でも公開日が限られているが、幸運なことに、現在公開中。これは行くしか!
ついでに、近くの海竜王寺(ここも不比等の屋敷跡とか)、不退寺でも、本尊が公開されているので見ておくことに。
(3)東大寺大仏は、南都焼き打ち後も首が落ちるなどして、公慶上人の復興により、現在見る姿になった訳で、頭部は江戸時代のもの。
当然、江戸時代の作風を示している。従来であれば、それは「残念なこと」なんだろうけど、彫刻史については戦国時代の宿院仏師の作品の発見と研究の進展により、従来の一方的な衰退史観も若干見直されつつある。
そこで、近世の巨像造立の事例として長谷寺の十一面観音を見ておこうかなと。
(4)プラン4は…
もちろん、大仏そのものに接してその巨大さ、モニュメント性に触れること!
つまり、
→やっぱ大仏だよなw
ってことですね。
先々週行った「東大寺大仏」展、秘仏と言える名品が出品されていたことは評価するけど、大仏自体の紹介は(現物がないこともあって←無理だよねw)、自分的には隔靴掻痒の感を免れず。そこを補足するために、奈良行きを計画。
基本、現場ヲタなんでw
プランとしては、
(1)東大寺大仏へ至るブロンズの巨像造立前史として、完好な状態で残る「蟹満寺釈迦如来坐像」を見に行く。
この像は通常白鳳時代の作といわれ、様式的には初唐様式を濃厚に示している。小金銅仏はともかく、丈六の巨像を造立するには当時の権力者の関与なしには有り得ないが、その辺りの経緯についてはよく判らない。
そんなこともあって、一般には殆ど知られていない仏像。
所在地も京都南部、JR奈良線というローカル感溢れる路線の、更に棚倉という鄙びた駅から徒歩15分位の所。ブロンズの巨像で移坐は難しいから、展覧会に出展されることは基本有り得ず、所在地に行くしかない。しかも、最近本堂の改修を行っていたので、現地でも見られない状況だったりしたので、まぁ個人的には見るのが懸案だった仏像w
(2)プラン2は、聖武の大仏建立を支えた光明皇后の周辺を調査。いや探偵じゃないけど。
ちなみに、東京国立博物館の「東大寺大仏」展も光明皇后1250年遠忌を記念しての企画。
で、光明皇后の父親の藤原不比等の屋敷を寺にしたという法華寺、そこの十一面観音立像は光明皇后をモデルに刻まれたという伝説を持つ。
秘仏であり、年間でも公開日が限られているが、幸運なことに、現在公開中。これは行くしか!
ついでに、近くの海竜王寺(ここも不比等の屋敷跡とか)、不退寺でも、本尊が公開されているので見ておくことに。
(3)東大寺大仏は、南都焼き打ち後も首が落ちるなどして、公慶上人の復興により、現在見る姿になった訳で、頭部は江戸時代のもの。
当然、江戸時代の作風を示している。従来であれば、それは「残念なこと」なんだろうけど、彫刻史については戦国時代の宿院仏師の作品の発見と研究の進展により、従来の一方的な衰退史観も若干見直されつつある。
そこで、近世の巨像造立の事例として長谷寺の十一面観音を見ておこうかなと。
(4)プラン4は…
もちろん、大仏そのものに接してその巨大さ、モニュメント性に触れること!
つまり、
→やっぱ大仏だよなw
ってことですね。