3月16日 前を向かなくてはならない。
美しい朝
オールナース2日目。
前日のGS競技に引き続き、3月16日はSL競技日であった。
清々しい青空に白銀のバーンが映え、絶好の大会日和である。
氷点下のバーンが照り返す日差しに、たまらずサングラスを装着しかけたが、もし厳粛な場である大会に春先に染め上げた茶髪を靡かせながらサングラスなどかけて余裕をかますハイカラな輩がいたならば、平均年齢74歳の長野県山内町では即座に村八分にされてしまうという現実を私も当然心得ていたのでサングラスの代わりにダサめのゴーグルを着用し角膜が焼け爛れるのを防いだ。
進級発表、あるいは進級確認
無難に一本目の滑走を終え二本目のコースインスペクション(下見)までの空き時間を優雅に待っていたとき、ふと今日が進級発表の日であることに気づいた。
来年度に3年生に上がれることは確信していたので進級発表など気にも留めていなかったが、一応確認しておくか、という気持ちで今年度進級者の発表webページを開く。
ほう、今年は随分と留年者が多いようである。進級者の学籍番号が飛び飛びになっており、比較的後ろの方である私の学籍番号まではすぐに辿り着けそうだ。
友人の留年などを確認しながらニヤニヤと画面をスクロールし、私の学籍番号のところで止めた。
はずだった。
脳が状況を理解するより先に膝は雪上に立つことを諦め、私はその場に崩れ落ちた。
パニックを起こし、言葉になれなかった感情の渦が嗚咽という形で吐き出されていく。
番号は無かった。無い。白。空白。空いてる。留年した。留年。留年。
私には確かに3年生となる資格があった。進級を信じて疑わなかった。希望に満ち溢れていた。
かつて私が思い描いていた、友人達との充実した学生生活は永遠に来ない。皆進級してしまったからだ。
大学においては、学年の違う者同士というのは普段殆ど接点を持つことがない。
大切な友人との大学生活が永遠に失われてしまうのだとしたら、それはとても悲しいことだ。
留年した悲しみ、そして単位を出さなかった教授への怒り、憤りを胸に、私は二本目のインスペクションに臨んだ。
二本目インスペクション
進級発表後に極度の興奮状態にあった私は、難度の高いSLコースを入念に下見して攻略の道を検討するo田先輩とo本先輩に対して、「o田さん、縦ッす。ガン攻めッす。ここ。」「ここも縦ッす。縦以外あり得ないッす。マジで。」としか言えなくなってしまっていたので、先輩方二人はかなり困惑していた。
ちなみに"縦"というのは、ポールに対して真っ直ぐ落下するように入って加速しながら最短距離を滑る、という意味である。
二本目出走
興奮冷めやらぬ状態でインスペクションを終え、いよいよ二本目の出走順が回ってきた。
完全にブチギレていた私は、事前にワックスを塗りたくった板に乗ってフルパワーで漕ぎ出し、トップスピードで一本目のポールに激突しながら薙ぎ倒した。
不甲斐なく留年してしまった私をポール達が次々とブン殴ってくれるので、旗門を通過するごとに私の自責感情は少しずつ薄れていった。
ポールに対する恐怖は全く無く、むしろこんな自分を殴ってくれてありがとう、とすら感じていた。
ブッ壊れた状態で滑走を終えた二本目は、コースの難度や雪面状況の変化の影響で上位選手達が軒並み一本目に比べて2秒~4秒ほどタイムを落としている中、逆に1秒縮んでいた。
スラロームは結局気持ちである。
午後
午後は本当に情けなかった。ブーツが小指に当たって痛いと弱音を吐いて先輩二人に慰めてもらい、留年したことについて励ましてもらいながらも元気を取り戻すことができず、主将のo田先輩に心配されながらカツ重を奢ってもらった。帰りの車では先輩方に運転や助手席を任せながら後部座席で気絶したのち、途中で寄ったSAでまたもや晩飯を奢ってもらった。カツ重のうまさの90%はソースが占めていると思う。春ってあったかいぜ。
リザルト
女子sl
岡本涼音 1:46.71 (新人賞おめでとうございます🎉 個人総合も6位でした❗️by岡本)
男子sl
太田和敏 1:21.96(男子sl準優勝㊗️、個人総合第三位おめでとうございます🎉)
舩山直人 1:39.88
🎉東京医科歯科大学団体3位入賞🎉
D2舩山でした。