愚痴・・・
私個人の考えとして、チームというものはピラミッドになっていると思う。
トップには監督、その下にキャプテンがいて、副キャプテンとそしてメンバーが末広がりになっている。
野球は、団体競技であるからには、チームの色がはっきりしているチームが力を持っていると私は思う。
(全国大会で勝つには個々の力も上位レベルが必要だと思うが)
特に、県大会へ出場するため、県大会で勝つためであれば、進むべき方向が1つになってさえいれば、難しくはないとここ数年感じている。
我がチームは、その方向が不明確・・・ キャプテンである私が何とかしなければと思っているが、所詮キャプテンでしかない。その上には、頂点である監督がいる。その監督が、まったくといってよいほど野球知識がない・統率力がない・成長しないといった感じである。しかし、その監督は私たち選手が指名したも同然なのでそこに文句は言えない・・・ 結構、野球をやっていて今は楽しくない状況が続いている。
そこで、この夏改革を行った。
今まで、すべてのことを監督がやっていた。(連絡・練習場所確保・練習試合相手・練習内容・会計・その他段取り・・・歴代監督はすべてこなしていたが・・)
その内容を、メンバーに振り分けた。
監督のやることは1つ、チームを強くすること。方向性を示し、どのようにチーム強化を図るか?
とてもシンプルにしたつもりだったが、どうもそうではなかった・・・以前にもまして、動きが遅くなったような気がする。選手がやるだろう・・とでも思っているのだろうか・・意図は伝えたはずなのに。
ここまでしても、今までと変わりないのであればということで、先日ミーティングでキャプテンである私がすべてをコントロールすることにしました。当然、メンバーの承認を貰ってですけど。どう転ぶかわかりませんが、何もしないよりはましかなと思ってます。
以上、愚痴でした。
秋のシーズン
今シーズンはいろいろとチーム改革を進めた。
監督を含むチームとしての方向をみんなで定めた。
本質は、メンバー個々の力をみるとすばらしい力を持っているのに、試合になるとまったく勝てない・・・
勝てない理由は、チームがばらばらだから、みんな好き勝手にやっている、などいろいろあげられる。
クラブチームは、しょうがない部分のあるが、みんな貴重な時間を裂いてやっているのだから、もっと楽しく・強く
野球をやりたい。
ということで、我がチームの方針が決まりました。
・練習に参加しないメンバーの整理
登録は25人前後いるが、常に参加していないメンバーの整理 → たぶん12人ぐらいになるだろう。
・練習予定表の作成
今までは、約1ヶ月先ぐらいの予定しか明確ではなかったが、シーズンを通してのスケジュールを作成する。
・出欠の徹底
練習・試合すべてにおいて出欠の連絡をし、当日には誰が出席・欠席かを把握する。
・分業制(ここがポイント)
練習試合・練習内容等野球と違う場面における管理をメンバーで分業することとした。
・選手名簿の作成
OB(後援会)に対しての、アプローチ(遠征費を負担してもらえるように)
という細かいところまで決め、9月本番を目指し始めた。
⑫中学入学
私が入学した中学校は全校で1000以上というマンモス中学校だ。
部活は、必須で必ず入らなければいけないが、生徒数が多いのでいろんな部活がある。しかし、なぜだか当時はサッカー部がなかった。
普通運動のできる人は、野球かサッカーに分かれるものだが、私の町ではなぜか卓球が盛んに行われていて中心人物は卓球部に入るという習慣があった。(当然私は入らなかったが・・)
小学校のときに選抜チームで一緒にやった友達たちは半分以上卓球部に入った。しかし、チーム代表となった小学校の選手は、ほぼ野球部に入ったことにより、かなり有望な人材がそろう学年となり私はとても楽しみだった。
⑪選抜チーム
町のチーム5チームから選抜された選手が集まり、1チームを作った。毎年恒例なっているのだが、町の大会で優勝したチームと選抜チームとで、町の代表として上の大会へ出場するのだ。
6年生のとき私は選ばれ、チームに参加したがそのとき初めて野球の楽しさを感じた気がする。
各小学校の選ばれた選手だけにみんなうまかった。練習時間はちょっとしかなく、みんな平等にバッティング(3球ずつ)をし、コーチがレギュラーを決める。
私は6年生にして身長160センチあり、その体格を利用し運よくその3球とも外野オーバーを打ち、捕らえることができたので、見事4番の座を勝ち取ったのだ!!(守備位置はライトだったが・・)
各大会で、知っている友達などもいたがみんな驚いていた。コーチが投げる球をみんな空振りしていたのに私だけ打ち返したのだ。自分でもなぜ打てたか今でもわからないが、たまたまでも結果を出せたことがうれしかった。
次の週、大会本番では1回戦を勝ち、2回戦を勝ち、準決勝まで勝ち進むことができた。結果3位ということになったが、少年野球で勝つ喜びを最後に体験することができた。個人的にはそこそこ打ち、4番バッターとしての存在感を十分に出したと思える。(周りのみんなのそういってくれた・・)
このメンバーが中学に行くと同じ学校となる。町で優勝したチームも3位となり、そのチームのメンバーと中学でできると思ったら、早く中学に行って野球をやりたいとすごく思っていた。
⑩大会の記憶
大野郷は町のチーム6チームと近郊チーム複数が参加する大会。
町の大会は6チームがそれぞれBチームCチームと作って12チーム前後で戦う大会。
レベル的には大野郷の方が高いので、強いチームと当たると当然1回戦負けとなるが、敗者復活戦があり、最低でも2試合できるようになっている。
町の大会も同じで、これは全員参加型なので結構勝つことができる大会だった。
しかし、わがチームはとても弱く、公式戦では1度も勝つことができなかった。子供ながらに野球がつまらなく思えるほど弱かった。
自分だけが野球をできても9人もしくは控えも含めてチームとして成り立たなければ勝てないことが、このときの思い出となっている。
⑨6年生
かっこよいとはいえないユニフォームがなくなり、新しいユニフォームが用意されていた。
当時は、背番号をマジックテープでくっつけるタイプがはやりの時代だった。(今も同じかな)周りのチームはほぼそのタイプのユニフォームでかっこいいな~といつも思っていたが、わがチームもとうとうそのときがやってきたのだ!!
当然、6年生である私たちのサイズで注文するから、あたかも自分のユニフォームを買う気持ちにならざる終えなかった。
ユニフォームは汚れることが当然なのだが、新しいがゆえに汚れないように練習をしている自分がいた。周りのみんなも同じような気持ちだったに違いない。
シンプルに漢字の縦書きユニフォーム。今ではなかなかないデザインに忘れもしない思い出のユニフォームだった。
⑧初出場
試合へ初めて出場したのは5年生のときだった。
レギュラーではなかったが、交代で初出場を果たした。
試合に出場したのは覚えているが、どこで、どの場面で出場したかはまったく覚えていない。
ただ、どきどきして何をどうしたらよいのかあたふたしている自分がいることだけ覚えている。
6年生に混じり、出場できるなんて当時はまったく考えられないことだった。うれしいを通り越して野球を始めてといっていいほどの経験した瞬間だった。
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⑦初めてのユニフォーム
小学5年生になるとベンチ入りができる。おのずとユニフォームが!!!
初めてユニフォームをもらった時は着方がまったくわからなかった・・・父親に聞きながら四苦八苦して袖を通していた当時を今でも鮮明に覚えている。長袖の上にTシャツ(今は当たり前だが当時はそんなファッションすらなかった)そして靴下の上に靴下の半分ぐらいのストッキングをはき、短いズボンをはく。
ばらばらでもらったときには着る順番すらわからなかった。 しかし、父親の指導の元ちゃんとユニフォームを着るとなぜかにやけてしまう自分がいた・・・
デザイン的には、だめだめなユニフォーム(ベルトではなくゴムひもだった)なのになぜかかっこよくなった(大人になった)気分にさせられた。
⑥当時の少年野球
終わったーグランド整備してかえるぞ~
当時の練習後の合言葉だった。しかし今の小学生は・・・
私が小学生のことは、親はほとんど練習には来なかった。それが当然だった。
たまに、小学生の練習に参加し指導とまでは行かないが練習に付き合う機会があるのだが、今の小学生はグランド整備をしない。それでいいのか・・・
監督に聞いたところ、今の小学生には練習後のストレッチなどを重点的に指導しているからその間に父兄にグランド整備をしてもらうんだ。と
私は納得できないまま帰ってきたが・・・
小学生の野球は勝てばよいのではなく、みんなで楽しく大きくなっても野球をやりたいと思うように指導するのが基本だと思っていたが。確かにストレッチなどは大切だが、それ以上にグランド整備は大切に思っているのは私だけだろうか。
