こんにちは。tmddieです。
衆院選、終わりましたね。
結果は、
なんで なんでなんだ・・・
この二十数年間、デフレが続きGDPは全く成長しませんでした。
平均世帯所得は、100万円(!)下がりました。
正規雇用は破壊され、結婚に二の足を踏む人が増えました。
出生率は下がりました。
公務員や公共投資は削られ、災害や疫病に脆弱になりました。
財政健全化というレトリックのもと、消費税は増え続けました。
数々の不正なカネのやりとり、公文書の偽造がありました。
コロナへの失策を繰り返し、多くの事業者が閉店を余儀なくされ、多くの人々が命を落としました。
なのにまた、国民はかの政党を支持している。
投票率は55% 戦後3番目に低い投票率。
確かに、確かにたかが自分の一票が日本を変える なんてことはないかもしれません。
でも、僕たちには、投票という手段しかないんです。
もっと幸せな制度に変えようと思ったら、投票しかないんです。
自分の身の周りは、自分が影響を与えられます。
自分の身の周りは、誰も生活に困ってないし、みんなハッピーという場合も多いでしょう。
ですが、自分とは関わりのない、年齢や性別、状況や立場の異なる人々のことを、少しでも想像してください。
アメリカの哲学者、ジョン・ロールズは言います。
人々が自分の今置かれている条件、例えば、年齢・国籍・人種・性別(性自認)・健康状態・職業・宗教といった諸条件が全くわからなくなった状態を想定すれば、公正・平等な社会秩序を選択するはずだ、と。
今晩寝ている間に全人類の意識がシャッフルされ、明日起きた時、別の人と入れ替わるとします。
その前に全人類で話し合って、明日から生きる世界のルールを定めても良いことにったら、どのようなルールを望みますか?
1%の富裕層を優遇するようなルールがいいですか?
教育を受けられない場合がある状況が望ましいですか?
病気や障害があったら、経済的な理由で死を選ばなければならなくても仕方ないと思いますか?
性別や性自認で差別される世の中がいいですか?
おそらく全てNOでしょう。
そして、このようなNOの問いは、いくらでも挙げることができるでしょう。
この世に不平等がある限り。
巷には、「自己責任論」という言葉があります。
自分の今の状況は自分が招いたものであり、いい結果は自分の努力の賜物で、悪い状況は怠惰な生活の末路だと。
努力できる機会さえ開かれていれば、あとは全て個人の努力の問題だと。
確かに、いっぱい勉強されて難しい資格試験に合格したり、死にものぐるいで鍛錬し表彰台に登るアスリートの努力と成果には、畏れ入るばかりです。
でも、世の中には、頑張りたくても頑張れない人もいます。
たとえば生まれつき貧困な家庭に生まれ、最低限の教育が受けられずまた必要とすら自覚できない環境で育った人に、
「お前のせいだろ」
などと言えますか? あなたならその状況を打破できたとでも言うのでしょうか?
中にはそんな状況から這い上がった人もいます。そしてそういった方が素晴らしいのは間違いない。
でも、そんな人は一握りのスーパースターでしょう。
あまり行き過ぎると宗教じみてきますが、究極的には、全ての諸条件は「すべて偶然」だと僕は思ってます。
要するに、世の中に弾かれるべき人などいない、と思っています。
かの政党、そしてそのお仲間の政党、近年勃興したあの政党
みな、そうした自己責任論を根本に持っています。
話は経済に移りますが、その自己責任論は「新自由主義」という経済学に密接に関係しています。
新自由主義とは簡単に言うと、経済における「自己責任論」です。
経済に対して政府がおかねをなるべく出さないで、自由放任しておけば、皆が切磋琢磨して経済は発展し、またバランスが自ずととれて不均衡は解消する。
こんな考え方です。
この考え方がいかに世界を破壊してきたか。
長くなるのでまた別の機会にします。。。
とにかく、みんな、投票は行こうよ。
農業の話とは遠いですが、我慢できませんでした。