こんにちは。tmddieです。
この記事を書いている今、しとしとと雨が降っています。
今日は寒そうだな・・・
今日は新規就農を思い立った時のお話を。
僕は、もともと大阪のIT企業に勤めていました。
以前も書きましたが、かなりホワイトな会社だったと思います。
コロナ禍は基本的にずっと在宅勤務でしたし、たまに出勤すれば、
上司は東京の本社にいるので、大阪オフィス内はわきあいあいとして
本当の意味で「アットホームな職場」です。
入社したのは2018年で、中途採用でした。
最初は事務所の立ち上げと顧客の開拓からでしたので、かなりきついこともありましたが、
その後優秀な後輩が続々と入ってきてくれて一年ほどで落ち着き、
仕事がホワイトになりました。
今思うと恵まれた職場環境だったなぁと思います。
でも、人間は不思議なもので、暇になるとそれはそれで悩みだすもの。
なんだか今自分がしている仕事が、誰のためにやっているのかがわからなくなって
きました。
まるで人々の役にたっている気がしない。
事務所立ち上げ当初は得られていた、仕事の充実感を感じることができなくなった。
1日24時間のうちの8時間をただただ会社に捧げて
月末に振り込まれる給料は、まるで生活保護のような感覚になってきてしまいました。
そしてちょうど、入社4年目を迎えようというとき
上司との評価面談で、描く今後のキャリアを問われました。
その時点で僕は、営業ではなくて、財務や会計、経営企画などに興味があり、
働きながら公認会計士の資格を目指していました(既に心折れかけてましたが)
そして運良くそのタイミングで、同じ会社の東京本社で経理部の席が空いたため、
部署異動の声がかかっていました。
「経理をやりたいって言ってたよな。席は空いたけど、今一度よく考えて」
上司にそう言われ、一旦家に帰ったのですが
あれだけ望んでいた職種に対する情熱が、揺らいでいることに気がつきました。
うまく言葉にはできませんでしたが、
この仕事は「自分」がすべきことなんだろうか・・・?
という、答えのない疑問です。
もちろんどんな仕事でも誰かの役にたち、意味があって存在している。
(そうじゃない気がする職業もある気がしますが)
でも、それは「自分」がすべきことだろうか。
もはや疑問というより、反語
直後に「いや、そうじゃないだろう」が続いていました。
何をもってすべきことなのかを判断するかは難しすぎるし、これにも答えはないでしょう。
考えてもわからなかった僕は、
とりあえずKindleを開いて内田樹先生の『困難な成熟』を読み返していました。
何度か読んだはずなのに、その中の一節がグサリときました。
「大人」というのは、自分がなにものであるか、自分がこれからどこに向かって進んでゆくのか、何を果たすことになるのか、ということを「自分の発意」や「独語」のかたちではなく、「他人からの要請」に基づいて「応答」というかたちで言葉にする人のことです。(内田樹『困難な成熟』)
そうか
今まで、自分が「どうしたい」しか考えてこなかった。
しかし、今の仕事でも、誰の役に立っているのかわからない、
そして望んでいた経理財務の仕事も、なんだか意義があやふやになってきている。
自分のもやもやは
この「他人からの要請」に「応答」していないことへの違和感だったのか
そう気がつきました。
いやいや、じゃあまず自分の会社で自分のできること、求められていることをやれよ!
僕も、そう思いますw
まだまだ僕が前の会社でできること、すべきことはたくさんありました。
結局は今思うと、自分のやりたいことではない今の仕事をやめる
もっともらしい理屈を探していただけなのかもしれません。
とにかく当時の僕は、内田先生の言葉に背中をおされ、
自分の力を求められているのは誰か を考えました。
そこでひらめきはすぐ訪れました。
「農業だ!」
いや、別に農業もお前の力必要としてねーから!
僕もそう思いますww
はっきりいって思い上がりと偏見ですが、食糧(の安全保障)問題、大都市の人口集中、地方の過疎化、離農者の増加・・・
こういった問題が一気に頭によぎり、それらが全て自分への「要請」に聞こえました
そしてかねがね僕は
資本主義はそろそろ終わるんじゃないかな とも考えてました
終わった先に待っている世界はどんなだろう。
少なくとも残るのは
人間が生きていくために絶対に必要な、衣・食・住
これに密接に関係する仕事だろう。
農業という食糧生産者は、そういう意味で最強です。絶対に必要です。
ここまできて僕は気づくと
一心不乱に新規就農関連のPRウェブサイトやいろんな地方の特色など
調べまくっていました。
そして翌日、朝起きると奥さんが
「何かいいことあったの?」
と聞いてきました。どうやら顔つきが晴れやかだったそうです。
僕は言いました
「やりたいことがやっとわかった。農業や」
奥さんはひっくり返ってましたw
ですが、理由を説明すると僕の本気度が伝わったのか、納得して「一緒にやる!」
とまで言ってくれました。
その日、再び上司との面談で
「辞めます。農業やります。」
と伝えました。
上司は数秒固まり、その後いろいろと尋問されましたが、
最終的には折れてくれました
「いつか、起業したい」
「いつかアメリカで生活したい」
みたいな夢はみんなそれぞれあると思います。
でも、思い描くだけで実際に形にならないことの方が多い。
「考えてばかりじゃなくて、まずは行動だよ」
これもよく聞く言葉です。
確かに、行動によって思考がまとまったり、モチベーションが上がったりする。
でも、本当にやりたいことは
自分で気づいた頃には、既に行動していることではないか
体が勝手に動き出しているのことではないか
そんな気がします。
ここできっちり筋目を通さないと、自分が「生きている」気がしなくなるもの。それが矜持です。
(中略)執着はそうではありません。生きる上では不自然なこだわりのことです。この筋目を通さないと「かっこうがつかない」とか「オレらしくない」とか、「首尾一貫しない」とか、そういう理屈で説明できるこだわりは全て執着です。(内田樹『困難な成熟』)
「譲れない」ことか「譲ってもいい」ことかを判定するのは、「身体が自然に動くかどうか」を基準にするのがいちばん確かです。(内田樹『困難な成熟』)
体が勝手に動かないうちは、自分にとって自然な流れじゃない。
やるべきという使命感も、そう考えると不自然なのかもしれない。
体が勝手に動いて、あとでそれが使命感だったと気づく。
そんなものなのかもしれません。
「起業したい」
と言っているうちは、起業するべきではないのでしょう。
体が勝手に動きだすのを、焦らず落ち着いて待つ
結果体が動かなかったら、そこは自分の乗るべき流れではなかった
ということなのかもしれません。