『近畿の高校入試』国語の第2回実力テスト範囲の「論理的文章」の残り、8番と9番の要約です。ご参考までに。
8
〔段落ごとの要旨〕
- 筆者は写真評論を生業としてきたことから、自分が深く関わっている「写真とことば」という二つの表現媒体についてずっと考えて来た。
- いずれもあるものの代理物としての「記号」であるにかかわらず、写真と言葉とは相当に違った働きをしている。そのことを最も明確に語ったのは名取洋之助だった。
- 名取は、文字は実物と直接関係はないが、写真は実物と密接な関係があると述べている。文字「犬」は実際の犬とは直接的な対応関係がないからこそ、「犬」という概念は、「いぬ」でも「イヌ」でも、「dog」という英語でも伝えられる。
- 「写真の犬」の場合、写っているのは、撮影された時にそこにいた、ある特定の犬の映像であるという直接性・具体性が、「記号」としての写真を特徴づけている。逆に、「犬」という抽象概念を、写真で表すことはできない。
- もう一つの違い。写真は画面全体の情報を一度に伝えられるが、ことばは断片的に、順を追って記述することしかできない。写真は見れば一瞬のうちに内容を理解できる。
- 一枚の写真に含まれる情報を、ことばで完全に描き尽くすのは不可能だ。
- ことばと写真の「記号」としての働き方は正反対で、両者を同時に使いこなすことは難しい。写真をことばに翻訳することで、写真家の作品世界を分かりやすく、広く理解できるような形に「翻訳」して伝える以上のことはできないと筆者は考えている。
- ところが、写真家たちは、写真とことばを同時に、しかも両方とも高度に練り上げられた形で使っていることに気づいた。彼らが書いた文章には、筆者が苦労して「翻訳」してきたことばが、軽々と、しかも的確に表現されていることがある。
- なぜ写真家たちは、写真とことばという、全く異なる「記号」を、自在に使いこなすことができるのだろうか。
- 考えているうちに、スポーツ競技との共通性に思い至った。優秀なスポーツ選手は、自分の技術や、その教義の原理・特質について、きわめて雄弁に、説得力のある言葉で語ることができる。
- 優れた選手になるためには、自らの身体反応がどんな意味を生み出すのか、競技全体の構造においていかなる位置にあるのかを、正確に判断し、認識する必要がある。このような判断や認識は、ことば以外で行うのは不可能だ。
- 彼らのことばは、身体の動き=プレーを積み上げることで、見出され定着していったもので、このことばは再びプレーする時の行動指針として生かされる。このように身体反応とことばとの相関関係を知り尽くしていることこそ、名選手たちの素晴らしいプレーの秘密なのではないか。
- 写真家たちも同じだ。撮影と制作の行為は、ことばで描写されることで、操作可能なものとして実体化され、そしてことばは再び撮影と制作の行為に反映され、その有効性を試される。
- とすれば、よき写真家がよき文章の書き手であるのは当然だ。撮影と制作の経験によってつかみとられた知恵は、ことばによって写真家たちを動かしていく力となる。
- 前世紀ドイツの写真家、アウグスト・ザンダーの座右の銘。「見ること、観察すること、考えること」
- 15は、写真家にとっての写真とことばとの緊密な関係を読み解く鍵になる。「見る」ことは「観察すること」と「考えること」すなわちことばに結びつけられることで鍛え上げられ、もう一度「見ること」に回帰していく。
- アウグスト・ザンダーの座右の銘は、循環的な構造を成しているのだ。
〔要旨〕
写真と文字は、いずれも「記号」ではあるが、文字は実物と直接関係はないのに対し、写真は実物と密接な関係がある。このことから、ことばと写真の「記号」としての働き方は正反対で、両者を同時に使いこなすことは難しい。たが、すぐれた写真家にはそれをできる人がいる。その理由を考えていて、筆者は、写真家にとっての写真とことばとの関係に思い至る。撮影と制作の行為は、ことばで描写されることで操作可能なものとして実体化され、そしてことばは再び撮影と制作の行為に回帰する、という循環的関係があるのだ。
9
〔段落ごとの要旨〕
- 生命の多様性を保全する上で、最も重要な視点は動的平衡の考え方だ。動的平衡の定義は、「構成要素が絶え間なく消長、交換、変化しているにもかかわらず、全体として一定のバランス、すなわち恒常性が保たれる系」である。
- 恒常性を保つためは、常に動いていることが必要だ。この世界では、秩序あるものには等しく、それを破壊しようとする力が降り注いでいる。これが「エントロピー増大の法則」だ。
- エントロピーは「乱雑さ」と訳すことができる。宇宙の中で何ものもエントロピー増大の法則に反することはできない。
- 工学的発想に立てば、エントロピーの増大を防ぐために、ものを頑丈に作って破壊の力から守る。
- 工学の時間よりもはるかに長い年月のオーダーをもつ生命は、工学的思考とはまったく別の方法を採用した。
- わざと仕組みをやわらかく、ゆるく作る。そして、エントロピー増大の法則による破壊に先回りして、自らをあえて壊し、作り直す。生命は、壊すことで蓄積するエントロピーを捨て、恒常性を保つ。
- 生命が絶えず壊されながらも、平衡状態、秩序、恒常性を一定に保てるのは、その仕組みを構成する要素が非常に大きな数からなっていて、しかも多様性に満ちているからだ。
- 動的平衡においては、要素の結びつきの数が夥しくあり、相互依存的でありつつ、相互補完的である。だからこそ、消長、交換、変化を同時多発的に受け入れることが可能となり、それでいてバランスを失することがない。
- 動的平衡の視点から地球を捉え直す。地球上のものはすべて元素から成り立っており、元素それぞれの総量は昔から変わらず一定である。
- しかし、元素は絶え間なく結びつき方を変えながら、循環している。循環のエネルギー源は太陽だ。では、循環を駆動している働き手は何か。
- 働き手は、地球上に存在する生物たちだ。生物たちがあらゆる場所で、極めて多様な方法で、絶え間なく元素を受け渡しているから、地球環境は持続可能=サスティナブルなのだ。
- つまり、生物は地球環境というネットワークの結節点に位置している。結び目に多様性があるほど、ネットワークは強靭かつ柔軟、可変的で回復力をもつ。地球環境という動的平衡を保持するためにこそ、生物多様性が必要だ。
- 生態系における生命は、弱肉強食の関係にありつつ、一方的に他方が殲滅されることはない。そして食物連鎖は網の目のように張り巡らされ、あらゆる結び目において、精妙な共生や共進化が見られる。
- 生物多様性は、動的平衡の強靭さ、回復力の大きさを支える根拠だ。
- それゆえ、多様性が局所的に急に失われると、動的平衡に決定的な綻びをもたらす。地球環境はしなやかであると同時に、薄氷の上に成り立っている。
- そのなかで、 ヒトだけが、自らの分際=ニッチを忘れ、逸脱している。
- ヒトは他の生物の連鎖と平衡を攪乱しており、共生することができない。すでに何が自分自身のニッチなのか知らない。
- ニッチとは、多様な生命が棲み分けている場所、時間、歴史が作り出したバランスである。私たちが考えるべきは、生命観と環境観のパラダイム・シフトなのだ。
〔要旨〕
生命は動的平衡であり、構成要素が絶え間なく消長、交換、変化しつつ、全体として一定のバランス、すなわち恒常性が保たれている。動的平衡を支えるものは多様性であり、生命は、その多様性によって地球環境というより大きな動的平衡を保持している。もし多様性が失われると、動的平衡に綻びをもたらす。自らのニッチを忘れ、動的平衡を攪乱している我々に求められることは、生命観と環境観のパラダイム・シフトである。
ぜひ自分でも書いてみてください。