もう皆さんご存知の通りですが、2018年1月1日に最愛の母が亡くなりました。末期ガンでした。
元々おれが小5の時に乳がんを患って、完治したと思われてたけど3年前から徐々に全身に転移、末期ガンの宣告を受けたのは去年の5月だそうです。
母が末期ガンだと俺が知ったのはその3ヶ月後の8月、会社のお盆休み初日のことでした。頭が真っ白になる感覚を始めて味わった。
元々父親がネグレクトでだらしないクソ人間で、母親と2人で家族みたいな感覚だったから尚更辛かった。
末期ガンという言葉を敢えて使わずに「手術はしないことにしたけど、治すつもりだから。緩和ケア病棟に通院する。」と強く語っていた母は、頑固で強がりで男勝りな性格の通り、会社の人にも病状について語らず、ただ毎日仕事に明け暮れていました。
俺はというと、正直何も手につかなくて仕事も集中できないし、友達といても何しててもどこか後ろめたさみたいなのがあって本当しんどかった。
でも、当時は毎日元気に仕事してる母を見て、少し治ることも期待していました。
秋になると体調の波が激しくなって、脚がフラつくから自転車に乗れなくなった。なのに買い物手伝ったり送り迎えしようとすると厳しく「仕事に集中しなさい。私のことは気にしないでほしい。煩わしいから。」と突き放されたこともありました。
何でそんな状態なのに仕事を続けるのか。理解できずに仕事をやめてくれと言ったけど、母は頑なに拒んで仕事に没頭してました。今思えば、母なりにおれに対して親としての背中を示していたのだと感じてる。
12月に入って貧血でついに倒れ、入院することになった。先生から呼び出されて「正直、今のお母さんはボロボロで、生きていることが信じられません。」と言われた。涙をグッと堪えて病室で母と話した。いつもより声に元気が無いけど、いつも通り明るい。
「ここにいれば大丈夫だから。年末には帰って仕事したいし、早く帰りな」
もはや強がりなのか本心なのか分からないけど、とりあえず側にいるしかなかった。
12月は毎日仕事を早く切り上げて病室へ向かった。
母は仕事を優先しろと相変わらず言ってきたけど、おれはおれの意思を貫こうと毎日母の元へ来て、とにかくいつも通り話をしてた。
母のお客さんがお見舞いに来たときも、母はずっと仕事の話をしてたし、年始にいつ会うか、確定申告の書類をどうするか、仕事のことばかり。
「この人、本当にプロフェッショナルだ。」
苦しくて怠くて怖いだろう。それでも常に仕事のこと、お客さんのことを考えてた母の姿を見て感動した。
そしてついにその時は訪れた。
急激に体調が悪化して、鎮静剤を打って昏睡状態になった。苦しくないようにしてほしいという母の要望で、鎮静剤を打ってもらってたけど、そのせいでほとんど話さなくなった。
本当に凄かったのは、鎮静剤を打って昏睡状態になった翌日。お客さんから電話がきた瞬間、起き上がって電話をとっていつも通り会話をしてた。
びっくりして声かけたけど、お客さんとの電話切った瞬間、すぐ寝た。どこまでもプロだった。
そしてその翌日、先生から「恐らくこのまま息を引き取ります。最期に声をかけてあげて下さい」と言われて、病室で2人きりになり、24年間のありったけの感謝を伝えた。伝え終わった瞬間、スッと深呼吸をして、ゆっくりと息を引き取った。
その時はもちろん悲しかったけどそれよりも、これまで闘病しながら仕事を頑張ってた母の姿を思い出して、強くならないといけないという気持ちの方が大きかったと思う。覚悟もしてたし。
そこから葬儀が終わるまでは正直あまり覚えてないけど、父親と完全に意見が合わなくて揉めまくったことと、ちゃんと喪主を務めあげたことだけは覚えてる。
葬儀がひと段落して、母のお客さんのところに挨拶回りしてたら「のぶくんのお母さんが亡くなる前に、言ってたことがある。それは、亡くなるまでにのぶくんに仕事とはどんなものなのか、どう取り組めばいいのか、それを伝えていきたいって。あなたのお母さんは本当に素晴らしい税理士であり、母親だった。」と言われた。
おれの仕事に対する考え方が劇的に変わった瞬間だった。仕事は丁寧に、ひたむきに、コツコツと。母の背中を見て本当に学ばせてもらった。
葬儀にあんなにたくさんお客さんが来てて、会社の人もお客さんも全員泣いてくれるのは、やっぱり母が素晴らしい人だったからだと思った。
あれから1ヶ月半経った今、
四十九日も終えてやっとひと段落した。
一人暮らしも始めたし、相続手続きも終わった。
今でも時々ふと泣きそうになることがある。
母が亡くなって家族が猫しかいなくなったけど、俺には最高な友達もいるし、同期もいるし、会社の先輩もいる。全くもって独りではない。
この悲しみのどん底から、這い上がれなくならずに済んだのも、今こうやって前に進めているのも周りの支えがあってこそだと本当に感じてる。
もう会えないし、話すこともできないし、相談することもできないけど、これからは母の育て方は間違えていないんだということを、おれの生き方で証明したいと思う。
長々と書いたけど、
母の死は俺に失望と、失望から這い上がる勇気をくれた。そしてそれを後押ししてくれたみんなをこれからは大切にしていきます。
本当に有難うございました。
皆さん、親を大切に…
元々おれが小5の時に乳がんを患って、完治したと思われてたけど3年前から徐々に全身に転移、末期ガンの宣告を受けたのは去年の5月だそうです。
母が末期ガンだと俺が知ったのはその3ヶ月後の8月、会社のお盆休み初日のことでした。頭が真っ白になる感覚を始めて味わった。
元々父親がネグレクトでだらしないクソ人間で、母親と2人で家族みたいな感覚だったから尚更辛かった。
末期ガンという言葉を敢えて使わずに「手術はしないことにしたけど、治すつもりだから。緩和ケア病棟に通院する。」と強く語っていた母は、頑固で強がりで男勝りな性格の通り、会社の人にも病状について語らず、ただ毎日仕事に明け暮れていました。
俺はというと、正直何も手につかなくて仕事も集中できないし、友達といても何しててもどこか後ろめたさみたいなのがあって本当しんどかった。
でも、当時は毎日元気に仕事してる母を見て、少し治ることも期待していました。
秋になると体調の波が激しくなって、脚がフラつくから自転車に乗れなくなった。なのに買い物手伝ったり送り迎えしようとすると厳しく「仕事に集中しなさい。私のことは気にしないでほしい。煩わしいから。」と突き放されたこともありました。
何でそんな状態なのに仕事を続けるのか。理解できずに仕事をやめてくれと言ったけど、母は頑なに拒んで仕事に没頭してました。今思えば、母なりにおれに対して親としての背中を示していたのだと感じてる。
12月に入って貧血でついに倒れ、入院することになった。先生から呼び出されて「正直、今のお母さんはボロボロで、生きていることが信じられません。」と言われた。涙をグッと堪えて病室で母と話した。いつもより声に元気が無いけど、いつも通り明るい。
「ここにいれば大丈夫だから。年末には帰って仕事したいし、早く帰りな」
もはや強がりなのか本心なのか分からないけど、とりあえず側にいるしかなかった。
12月は毎日仕事を早く切り上げて病室へ向かった。
母は仕事を優先しろと相変わらず言ってきたけど、おれはおれの意思を貫こうと毎日母の元へ来て、とにかくいつも通り話をしてた。
母のお客さんがお見舞いに来たときも、母はずっと仕事の話をしてたし、年始にいつ会うか、確定申告の書類をどうするか、仕事のことばかり。
「この人、本当にプロフェッショナルだ。」
苦しくて怠くて怖いだろう。それでも常に仕事のこと、お客さんのことを考えてた母の姿を見て感動した。
そしてついにその時は訪れた。
急激に体調が悪化して、鎮静剤を打って昏睡状態になった。苦しくないようにしてほしいという母の要望で、鎮静剤を打ってもらってたけど、そのせいでほとんど話さなくなった。
本当に凄かったのは、鎮静剤を打って昏睡状態になった翌日。お客さんから電話がきた瞬間、起き上がって電話をとっていつも通り会話をしてた。
びっくりして声かけたけど、お客さんとの電話切った瞬間、すぐ寝た。どこまでもプロだった。
そしてその翌日、先生から「恐らくこのまま息を引き取ります。最期に声をかけてあげて下さい」と言われて、病室で2人きりになり、24年間のありったけの感謝を伝えた。伝え終わった瞬間、スッと深呼吸をして、ゆっくりと息を引き取った。
その時はもちろん悲しかったけどそれよりも、これまで闘病しながら仕事を頑張ってた母の姿を思い出して、強くならないといけないという気持ちの方が大きかったと思う。覚悟もしてたし。
そこから葬儀が終わるまでは正直あまり覚えてないけど、父親と完全に意見が合わなくて揉めまくったことと、ちゃんと喪主を務めあげたことだけは覚えてる。
葬儀がひと段落して、母のお客さんのところに挨拶回りしてたら「のぶくんのお母さんが亡くなる前に、言ってたことがある。それは、亡くなるまでにのぶくんに仕事とはどんなものなのか、どう取り組めばいいのか、それを伝えていきたいって。あなたのお母さんは本当に素晴らしい税理士であり、母親だった。」と言われた。
おれの仕事に対する考え方が劇的に変わった瞬間だった。仕事は丁寧に、ひたむきに、コツコツと。母の背中を見て本当に学ばせてもらった。
葬儀にあんなにたくさんお客さんが来てて、会社の人もお客さんも全員泣いてくれるのは、やっぱり母が素晴らしい人だったからだと思った。
あれから1ヶ月半経った今、
四十九日も終えてやっとひと段落した。
一人暮らしも始めたし、相続手続きも終わった。
今でも時々ふと泣きそうになることがある。
母が亡くなって家族が猫しかいなくなったけど、俺には最高な友達もいるし、同期もいるし、会社の先輩もいる。全くもって独りではない。
この悲しみのどん底から、這い上がれなくならずに済んだのも、今こうやって前に進めているのも周りの支えがあってこそだと本当に感じてる。
もう会えないし、話すこともできないし、相談することもできないけど、これからは母の育て方は間違えていないんだということを、おれの生き方で証明したいと思う。
長々と書いたけど、
母の死は俺に失望と、失望から這い上がる勇気をくれた。そしてそれを後押ししてくれたみんなをこれからは大切にしていきます。
本当に有難うございました。
皆さん、親を大切に…