「古事記」 は、我が国に残る最も古い書物であり、はるかな神代の昔から歴史時代まで記された貴重な “歴史資料” でもある。今から1300年以上もの昔、天武天皇の時代に準備され、その姪 (天智天皇の娘) にあたる元明天皇の和銅5年 (712) に完成したという。
 稗田阿礼という語り部の口述を、太安万呂という学者が古代文に表したものといわれている。上・中・下の三巻からなり、上巻は宇宙の始まりから語られ、中巻は初代・神武天皇から15代・応神天皇の御世まで、下巻は16代・仁徳天皇から33代・推古天皇までの伝承が記されている。

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 中巻の、第12代・景行天皇の条に、その息子 「倭建命 (やまとたけるのみこと) 」 の記事が詳しく述べられている。小碓命と呼ばれていた幼時から、猛々しい気性であった命に、天皇は西の熊襲征伐を命じ、帰るとすぐまた東の荒ぶる神を従わせるよう命令した。草原で火に囲まれ、草薙の剣で難を逃れたり、海峡での荒波では、后の犠牲により救われたという神話が今も語られている。
 そのあとで命は、熱田の美夜受姫(みやずひめ)のもとに剣を預けたまま、今度は伊吹山の神を討ち取りに出かけるが、ここで体を壊してしまう。病に陥った命は、三重県・亀山あたりの 「能褒野 (のぼの) 」 の地で亡くなった。
 御幣川と安楽川の合流点に、全長90m、高さ9mの前方後円墳がある。築造は4世紀末ごろと考えられ、明治12年に 「景行天皇皇子日本武尊能褒野墓」 と定められた。明治18年、その近くに命を祀る 「能褒野神社」 が創社された。
 古事記の最も古い写本 「真福寺本」 (国宝) は、名古屋の大須観音 (真福寺) に保存されている。

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