古くは 「隈本城」 と呼んだ。新しく壮大な城を造ったのは加藤清正である。慶長5年 (1600) の関が原の合戦で功を立てた清正は、肥後52万石を領することとなった。新城落成は慶長12年 (1607) のこと、名を「熊本」に改めたのもこの年である。
 時は流れて明治10年 (1877)、西郷隆盛が野に下って西南戦争を戦ったのがこの城である。ところが開戦3日前に、原因不明の出火によりこの難攻不落の名城は、天守閣をはじめ主要な建物のほとんどを焼失してしまった。現在の天守閣は昭和35年に再建されたものである。

熊本城B

 加藤清正は、築城の名手といわれている。特に石垣造りにはその能力を遺憾なく発揮して、名古屋城など各地の城で足跡を残している。自身の城・熊本城でも堅固な石垣を築き上げた。今でも近づくと、威圧感を感ずるほど豪壮である(下左の写真)。
 下右の写真は、創建当時から残る「宇土櫓」(国の重要文化財)である。地上5階・地下1階という多層櫓で、普通の城郭なら優に天守に匹敵するほどの規模である。現在、熊本を始め九州は未曾有の大地震に見舞われている。熊本城も大被害を受けているが、この櫓は石垣が壊れることもなくしっかりしているという。

 早くこの地震が収まることと、被災された方々の避難生活が、少しでも安楽なものであってほしいと願うばかりである。

 熊本城C