明治5年 (1872)、明治政府は学校制度を発布した。見付学校は、翌年8月にお寺の施設を仮の校舎として開校した。同時に、町の有力者の協力により新校舎の建設が進められた。新築工事は、名古屋の堂宮棟梁・伊藤平右衛門に委嘱して明治7年に着工し、翌8年 (1872) に完成した。

見付学校マップ

 新築された校舎は、玉石の石積みの上に木造擬洋風の2階建てで、間口12間 (約22m) 奥行5間 (約9m)、屋上に2層の楼が重ねられていた。(当初は4階建てであったが、8年後の明治16年に、3階部分を増築して合計5階建てとなった) 正面には伊豆石の石段が設けられ、玄関はエンタシス様式の飾り柱を配している。
 昭和28年 (1953) に、磐田市立郷土館として開館し、昭和44年には国指定の史跡となった。昭和52年には27か月にもおよぶ解体保存修理が終了し、現在に至っている。館内には、明治期の教科書や卒業証書が展示され、ひとつの部屋には授業風景が模型で再現されている。

見付学校A