さーむーい!

日が落ちて、横浜は冷え込んでまいりました。


帰り道のオトノハ。

相変わらずの文章。

意外と近いバンクーバー。(笑)



後半部分は、どう思われたでしょうか…。

ZERO~♪をリアルタイムに見ながら、
娘といろいろ話しました。




横浜も空襲がありました。

私の母は戦時中、小学校にあがる前…終戦時はちょうど1年生でしょうか。

私が小学校に入学した年。

母と同じ小学校に入学したのですが、ちょうど終戦から何十年だったのか…もしくは創立何十年だったのか。

戦争体験の文集がPTAで作られました。

今では細かいことを覚えていませんが…

歩き慣れたいつもの道。
いつもの駅。
いつも渡る橋。
下を流れる川。

そこかしこが想像を絶する悲惨な状況であったことが書かれていました。

母の書いた文章もありました。

一番上の姉は軍需工場で働いていて、毎日帰ってくるまで無事かどうか心配だったこと。

すぐ上の姉はたった一人で祖父の故郷へ疎開していたこと。
この伯母からは、兄妹の中でたった一人で疎開して寂しかった想いを何度も聞きました。

母自身は身体が弱く疎開には行けず、三つ下の妹といつも怖くて震えていたこと。

幼い私に強烈な印象を残した話。
折にふれ子どもたちに伝えて来ました。


ZEROでお話してくださったご婦人よりは、幾分私の母は年下ですが…。

娘には母と重なるのか、涙をこぼして見ていました。


翔くんが知りえたこと。
たくさんの人に伝えたいこと。


私も私の知りえたことを、子どもたちに伝えて行けますように。