(船の音、海上から)

さて、僕は今、宮城県宮城郡松島町にやって来ました。
日本三景の一つとして非常に有名なこの地は、大小およそ260の島々が松島湾に点在しています。
芭蕉が「美人の顔(かんばせ)を装う」…つまり、すっぴんでも美人なのに、さらに化粧をしたかのような絶景と表現し、そのあまりの素晴らしさに句が書けなかったこの地、僕も遊覧船に乗って目にしたいと思います。

(カモメの鳴き声、波の音)


そもそも、ことふるにたれど、松島は扶桑第一の好風にして、およそ洞庭・西湖を恥ぢず。東南より海を入れて、江の中 三里、浙江(せっこう)の潮を湛(たた)ふ。島々の数を尽くして、そばだつものは天を指さし、伏すものは波に匍匐(はらば)う。あるは二重に重なり三重に畳みて、左に分かれ右に連なる。負へるあり、抱けるあり。児孫(じそん)愛すがごとし。松の緑こまやかに、枝葉潮風に吹きたわめて、屈曲おのづから矯(た)めたるがごとし。その気色えう然として、美人の顔(かんばせ)を粧ふ。ちはやぶる神の昔、大山づみのなせるわざにや。造化の天工(てんこう)、いづれかの人か筆をふるひ、詞(ことば)を尽くさむ。


もういろんな人が大昔から散々言い尽くしてきたことではあるが、松島というのは日本一風光明媚な場所で、中国の有名な自然遺産と比べたって、遜色がない。
東南の方角から海が、陸に入り込んで湾を作り、12kmの広さに満々と水を湛えている。
そこに浮かぶのは、数え切れないほどの島・島・島・島・島…(←エコー)
そして、島・島・島…
天に向かってそびえ立つ島、波間に浮かぶように寝そべる島、二つ重ねの島…(←エコー)
三つ折りの島、左にも島、右にも島…
離れたと思えばつながり、一緒かと思えば違う島、小さな島をおんぶしてるような島、抱っこしている島もある、まるで子どもや孫と遊んでいるように見える島…。
松の緑はどこまでも色濃く、枝葉は潮風に吹かれるうちに曲がってしまい、人の手で自然に折り曲げたかのように、完璧な角度に見える。
その景色は見るものをうっとりさせる美しさで、これはもう神の為せる技…としか、言いようがない…。
そんな神業で作られた松島の美しさは、どんなに絵筆をふるっても、どんなに言葉を選んでも、表現できない。
ああ…もう降参だ。
ああ…俳句一つだって吟じられない。
ああ…。


俳句の神様・芭蕉が、やっとのことでひねり出したのが、
「松島や ああ松島や 松島や」
であると、僕、櫻井翔はいつからかどこかしらで、しっかり刷り込まれていたのですが…
何と芭蕉は、ここ松島では一句も吟じてはいないのです。
…えっ!?

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この「松島や…」は、芭蕉の作では決してなく、相模の国の田村坊という、今でいうコピーライターが書いた観光用のコピーだったそうです。
お間違いなく!

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(船の音、船上から)

あのー、島は260もの島が、ぽつぽつと点在してる様っていうのは、他で見たことがない景色だなぁとは思いますねぇ。
ただカモメがたくさん飛んでいてー、その島々の間を飛んでいる姿っていうのは、それは美しいな綺麗だなって思いますねぇ…。


この雄島という所で、芭蕉は月を見ました。
旅立つ前、松島の月が心にかかり…と言っていた、その月です。
松島の宿は二階屋で、海に向かって建て並べられていました。
宿の下で酒などを振る舞われ、芭蕉が心地よく酔って二階に上がれば、すでに窓が開け放たれていて部屋は月明かりの中。
もちろん、その頃の部屋には電灯なんてものはありません。
灯りのない部屋の窓からは、月光に照らされた海。
境界線の不確かな松島の島影が、朦朧と浮かんでいたのかもしれません。
夢にまで見た憧れの歌枕の地、松島。
芭蕉には、どう感じられたのでしょうか…。


(船の音、船上から)

さて、松島を遊覧船で30分ほど周りました。
芭蕉が句を詠めなかったという景色、今見終わったんですが…。
何かこう、口を開けてしまう、言葉が出ない絶景というよりは…何かこう、ジグソーパズルを、トンカチで割って、いろんな大きさに分かれたような。
おもちゃ箱をひっくり返したような。
そんな景色でしたね。
小さな島に松の木が一本だけ立っていたりだとか。
はたまた何か大きな島に木々が生い茂っていたりだとか。
うーん。楽しい!景色…でした。
句が詠めないほどの…絶景というような捉え方というよりは、何か、…時間を忘れるような、
「こんな島あんな島もあるんだ…」
というような楽しい時間でした…ねぇ。うーん。

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さて、櫻井翔はこの松島の風景を見て、どんな句をものにしてくれたんでしょうか…?

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…すいません!!
まったく思い浮かびませんでした!

(笑顔でさっくりギブアップな感じ・笑)


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ええっ!?できなかった?できなかったの?櫻井さんも(笑)
松島って、それぐらい心奪われて俳句が作れないぐらい絶景だった!っていうことにしておきましょう。

芭蕉と曾良が次に向かったのは平泉の地です。
兄頼朝に追われた義経が最期を迎えたのが、この平泉。
悲劇のヒーロー義経。
奇しくも芭蕉がおくのほそ道の旅に出たのは、義経が死んでちょうど五百年。
芭蕉はこれを書かずには居られなかったのでしょう。
我らが櫻井翔の旅も、ますます佳境に向かいます。

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三代の栄耀一睡の中(うち)にして、大門の跡は一里こなたあり。秀衡が跡は伝野になりて、金鶏山のみ形を残す。まづ高舘(たかだち)に登れば、北上川、南部より流るる大河なり。衣川は和泉が城を巡りて、高舘の下にて大河に落ち入る。泰衡が旧跡は、衣が関を隔てて南部口を差し固め、夷(えぞ)を防ぐと見えたり。さても、義臣すぐつてこの城にこもり、功名一時の叢(くさむら)となる。「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と、笠うち敷きて、時の移るまで涙を落としはべりぬ。

夏草や兵どもが夢の跡

夏草や兵どもが夢の跡


藤原氏三代の繁栄も華麗な面影も今はすっかり消え去り、田圃や野原の変わり果ててしまい、姿を残すのは金鶏山だけだ。
義経公が最期を遂げたと言われる館を訪ね、その高台によって眺めれば、衣川が北上川に合流し、雄大な流れを見せ、夏草がぼうぼうと生い茂る風景があるばかり。
義経公が選りすぐりの家臣と共に戦った城跡も、廃墟と化し

夏草や兵どもが夢の跡

夏草や兵どもが夢の跡

今も昔と変わらぬ夏草だけが生い茂っている。


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常に芭蕉は義経の姿を追ってきました。
後に歌舞伎の世界でもヒーローとなる義経は文学の格好題材。
ましてや義経没後五百年も重なったわけですから、旅の一大テーマの一つとして芭蕉も気合いが入ります。
万感胸に溢れる想いで、芭蕉は高舘を後にし、中尊寺に向かいます。
櫻井翔も追います。

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藤原氏が滅亡の後にも、その存在が許された中尊寺。
だが、南北朝の時代にその大半は火事で消滅します。
かろうじて奇跡的に焼け残った光堂(ひかりどう)と経堂(きょうどう)の一部。
元禄時代に訪れた芭蕉の目には、どう映ったのでしょう…。


かねて耳驚かしたる二堂開帳す。経堂は三将の像を残し、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。七宝散り失せて、珠の扉(とばそ)風に破れ、金(こがね)の柱霜雪に朽ちて、すでに頽廃(たいはい)空虚の叢となるべきを、四面新たに囲みて、甍を覆ひて風雨を凌ぎ、しばらく千歳(せんざい)の記念(かたみ)とはなれり。

五月雨の降り残してや光堂

五月雨の降り残してや光堂


かねてより、その燦然と輝く美しさは、なんて素晴らしいと散々聞かされてきた、中尊寺の光堂と経堂を拝むことができた。
珠を散りばめた扉は風に破れ、金の柱は朽ち果てていた。
すでに頽廃し、空虚となるはずだったのに、四方を囲み屋根を覆い、雨風を凌いだので、千年は残る記念物となった。

五月雨の降り残してや光堂

五月雨の降り残してや光堂


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ここで櫻井翔は中尊寺の執事の方に、いろいろの教えをいただきました。

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翔:1124年当時の最先端技術を集められて作られた金色堂という建物、どんな建物になるんでしょう?
執:これは初代清衡公の、基本的には元々と言えば廟所(びょうしょ)ですね、葬堂ですよ。
*廟所・葬堂…墓所・お墓のこと
ですから、今お参りいただく方もいきなり金箔の間ですから、廟所として手を合わせるというよりも、先に目ばっかりそちこちにやってしまいますけども、我々の感覚からすると、強制するわけにも行かないですけれども、まず手を合わせていただきたいっていうのは…本当のところなんですよね。
翔:うーん。
執:やっぱり今も初代清衡公ですよね、二代基衡公、三代秀衡公とも眠っておられるわけですから、その為のお堂だと、思います。
翔:うーん。
執:まあ、あの阿弥陀さんを中心に、阿弥陀三尊と六体の地蔵と、天部に天があって、それが三段構えてますから、阿弥陀さんていうのは極楽の境地ですね。極楽浄土の境地ですね。その世界を表したと言えば、もう金色世界を作ってですね。
翔:うーん。
執:当時11世紀の中頃から、もう阿弥陀堂がいっぱい作られますね。一番有名なのが平等院鳳凰堂とかですね。
翔:うーん。
執:いろいろあるんですけども、その終わりの方かなぁ…あの中尊寺の金色堂は。阿弥陀堂信仰の大きな有名なところですね。はい。
翔:じゃ、もうその金色堂そのものが、こう極楽浄土というか。で、そこに自らが、入るためのお堂だったと。
執:そうだと思いますね。
翔:はあ…。なるほど…。清衡公が、ここのお寺を、そのまあ争いのない平和な社会を…という想いが込められたお寺だという話をいただきましたけれども。今、実際、それと世の中が逆行してる部分もあるかも…しれない中で、ここを訪れる方に感じていただきたいことというのは、どういったことなんでしょう?
執:いろんな形で起きるんでしょうね、そういう争いごとっていうのは。まあ誰にでもあるんだと思いますが、その中でですね、我々も朝、他のお堂と一緒に金色堂はもちろん手を合わせに行きますが、自分自身の中では平和を感じるんですけども、それがみんなにもそういう気持ちを味わってもらえればいいわけです。何も金色堂の前に行かなくてもですね。どこにあってでも、朝なり夕なり一度手を合わせてですね、落ち着いた気持ちになったところに、その人の平和っていうのは、何か安心というかですね、あってもらえればいいんじゃないかと思いますね。
翔:うーん。
執:そういう時間を一日の中で持っていただけるようなことがあればいいんですけどね。
翔:うーん。それぞれの中の平和…。
執:そうですね。
翔:それぞれの中の気持ちを作り出すと。
執:そうですね。
翔:うーん。




3へ続く