韓国の孤児院から多くの子供たちが海外に養子として出されていますが、彼らが外国で成功すると“韓国系”と騒ぎ出す韓国マスコミですが、その前にまず「彼らを見捨てた罪」に対して謝罪するべきではないでしょうか。
1973年8月29日、ソウルでキム・ジョンスクという女の子が生まれた。生まれて3日で路上に捨てられたこの子どもは孤児院に送られ、6カ月後にフランスへ養子に出された。原子物理学者であるフランスの父は韓国からきた娘に「花」を意味する「フルール」という名前を付けた。
キム・ジョンスクの代わりにフルール・ペルランとして生きてきた彼女は今年41歳で、フランス政府の高位公職者に成長した。
韓国出身者が海外で成功すると「韓国人が外国で成功した」として大騒ぎする韓国に対して彼女は冷静だ。 昨年3月、自身を捨てた国を再び踏んだ彼女は、空港で待っていた記者らに向かい、「私はフランス人だ」と言い切った。 両親を探すつもりがあるかとの質問には「ない。私の家族はフランスにいる。私はフランス国籍の、フランス人だ」と話した。
(中央日報 1/19)
韓国では国家や社会が見捨てた孤児や混血児が、後に海外で成功すると「韓国系」という事を前面に立てて、マスコミが大々的に報道して大騒ぎするのが恒例に成っています。
しかし、本人にとってはかつて自分を見捨てた国や社会がその事を謝罪もせずに、あたかも昔から後援してきた様な態度で大騒ぎするのは見苦しい以外の何ものでもないでしょう。
今回、フルール女史が「私はフランス人だ」と言い切った背景にもそういう複雑な想いがあっただろうと思います。
7年ほど前にアメリカのフットボールのスターであったハインズ・ウォードという選手も父親が黒人で母親が韓国人という“韓国系”でした。
彼は1976年に韓国で生まれましたが、黒人との混血であったため、当時の韓国社会から厳しい差別を受け、母親は幼いハインズを連れて逃げるようにアメリカへ移住してゆきます。
アメリカの韓国人社会からも黒人のような姿は差別の対象とされますが、結局彼は大学でアメリカンフットボールの選手として成功し、脚光を浴びるようになります。
すると途端にアメリカの韓国社会も彼は“韓国系”だと言い出し、さらに韓国でもマスコミが大々的にアメリカで成功した韓国系選手として騒ぐようになりました。
もし、彼が社会的に成功していなかったら、差別の中で過ごし、韓国マスコミからも注目されることもなかったでしょう。
もちろん、日本でも同じようなケースはあるかもしれません。
ただ、韓国は自らの民族の優秀性をアッピールするために、“国策的”にキャンペーンを張っているようで、あまりにも「身勝手すぎる」行為に不快感を感じさせられるのも事実です。