戦後の映画と二眼レフ② | 四畳半カメラ大系

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記事はテーマ別にまとめてあるので気になる記事はそこからご覧頂けると幸いです。

4.新世光機とミノルタ

 

昔、森製作所の試作機について調査した時に偶然この記事に辿り着いた。

 

戦後のハイレマンシャッターについて書かれた記事で、その中のH氏の話で新世光機が登場した。

 

資料によると新世光機は写真機製造の会社として昭和26年大阪府で設立。代表者は山口義郎で、モルタ合資会社(ミノルタカメラよりも前の千代田光学の前身)の販売責任者を経験した人とある。

 

モンテの名称はフランス語(イタリア語の間違い?)の「山」が由来であり、山口義郎氏の苗字から来ている。

 

 

H氏は戦前に千代田光学(ミノルタカメラの前身)に在職した方で、モンテ35の設計を担当した。そしてモンテフレックスを計画した話もこの方の証言で登場する。

 

代表者と設計者もミノルタ出身なので、新世光機はミノルタの系譜を汲む(?)メーカーと言えるかもしれない。

 

「…さてこのモンテ35以外に、昭和26年、ギヤ式の2眼レフ[モンテフレックス]が計画され、レンズは富岡光学からトリローザを試作用として5組入れられたが、生産ラインに乗らなかったそうだ。」原文ママ

 

つまり昭和26年(1951年)、富岡光学のレンズを搭載したギア連動の二眼レフカメラが試作された。

 

この記事を思い出した時、勝利を確信した。何しろ資料の中の、姿形すら分かっていなかったカメラが目の前にあるのだ。興奮するなという方が無理な話だ。

 

 

モンテフレックスの名前にギア連動の二眼レフなので新世光機の試作機なのはほぼ間違いないだろう。

 

5.レンズの謎と昭和26年

 

しかし気になるのはレンズ名がBESSEL(ベッセル)だ。

 

上に書いてある通り富岡光学ことトリローザーはTRI-LAUSARであってベッセルではない。

 

ベッセルは木川光学TUBASAFLEX(ツバサフレックス)GRACEFLEX(グレースフレックス)などに搭載されていた。

 

なぜ木川光学なのかは不明だが、推測するに木川光学が富岡光学からレンズ供給を受けており、ベッセル銘のレンズは新世光機に試作用に取り入れられたのではないだろうか。

 

富岡光学(トリローザー)→木川光学(ベッセル)→新世光機(ベッセル)...といった具合。最初のツバサフレックスが昭和26年の3月辺りから登場しているので、一応時期的にも一致している。

 

 ピントフード部分。基本的にルーペはついている。

 

 また面白いことにギアリングやピントフードはツバサフレックスの部品と同一なので、レンズだけでなく部品もいくつか譲り受けたと思われる。ボディや裏蓋の部品はまた別のメーカーなので、H氏は木川光学その他のカメラメーカーからいくつもの部品を集めたのだろう。

 

カメラの外観からは以上の事が推測できるが、たまにカメラの中を見ると面白い痕跡があったりする。

 

今回は偶然資料があったが、製造年が分からないカメラを調べる時に類似したカメラの広告や資料からある程度の製造年の推測はできる。しかし明確な時期は分からないことが多い。なのでこうした痕跡から時期を推定することは時々ある。

 

「戦後の歌謡曲と二眼レフ」の記事で紹介した様に文章があったり、製造年月日が刻まれていたりすることがある。

 

ただそういった例は超レアケースだ。大抵のカメラは中を見ても何もないことが多い。なのでそういったことには期待せずカメラを分解してみるのが常となる。

 

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 二眼レフは裏蓋に露出表がある機種がチラホラある。大抵は古いタイプが多い。

 

ほら、露出表を裏返してみても何もな...

 

ええ!?

 

③に続く