チェ・ヨンの邸宅の

中庭。

 

そこに威風堂々と根を張る

二人の樹。

 

地面にひざまづくチェ・ヨン。

 

その男の前に立つウンス。

 

 

 

ウンスがそっと

チェ・ヨンの左の肩に

右の手を置いた。

 

だが、その女の左の手は

地面に向けられたまま。

 

チェ・ヨンは

そろそろと

右の頬をウンスの胸に微かに寄せ

 

しばらくしてから

こくんと

その頬を

ほんの少しだけ

ウンスの胸の中に落とした。

 

チェ・ヨンの左目の

色が一瞬変わる。

 

だがその瞳は

二人の樹を見つめたまま。

 

実は、拗ねたり甘えたり

いろんな表情を

その眼に映し出しているのに

 

その瞳を見ているものは

誰もいない。

 

 

ウンスの瞳も

ただ、前を

自分の前にある宙を

まっすぐに

見つめるだけ。

 

その四つの瞳を見据えているのは

あの二人の

堂々とした樹ーーー

だけだった。

 

 

 

 

しばらく

心ゆくまで

そうしていた

チェ・ヨン。

 

自分の鼓動の高鳴りが

昔の自分を呼び起こし

「これ以上はもう無理だ」

そう思った刻

 

ずっと見つめていたその樹から

すっと瞳を離した。

 

 

跪いている自分の前に立つ

あの人の瞳を求め

 

チェ・ヨンはその顎を

 

その女の胸から首へ

そして顎から唇

鼻から瞳へと

上げていく。

 

そろそろと。

 

あの人の瞳まで

ようやく到達した

チェ・ヨンの

漆黒にヒカル

その瞳。

 

前を向いたまま

自分を見ようとしてくれない

その人の瞳を捉えるために

 

ぷるんと反る

チェ・ヨンの唇を

その形にした。

 

四つの言葉の形に。

 

 

「I love ……you……」

 

 

ウンスが大好きな

その天界の言葉を

口にしてみる。

 

だが、しっくりこない。

本当に言いたかったのは

 

 

恥ずかしくて

唇から取り出せなかった

 

「アイシテル」

 

の言葉。

 

 

いつもチェ・ヨンが

想っている言葉なのに

どうしても言えない

その言葉を

 

物音一つしない

ただ樹木の囁きしかない

その気泡の一つ一つに

載せてみる。

 

恐る恐る

自分の反る唇から

吐息に紛らせる。

 

 

すると

真っ直ぐ前を向いていた

ウンスの躰が

僅かに

跳ねた。

 

すぐさま

 

 

「見て」

 

「欲しい」

 

 

その二つの言葉を

瞳で畳み掛ける

チェ・ヨン。

 

 

「あの人の、あの瞳が欲しい」

 

「上からでいい」

 

「そこから…」

 

「そこからのままでよいから」

「ここに跪く俺を」

 

「あなたの前に傅く俺に……」

 

「注いでほしい」

 

「叩きつけてくれ」

 

 

そう、切に願う

チェ・ヨン。

 

 

 

 

 

自分の胸元で

必死に自分の瞳を請う

男。

 

その男の突き刺さるような

視線を感じながらも

ウンスは

 

 

「まだ、この静かな刻のままでいい」

 

「まだ……」

 

「ヨンの気持ちが落ち着くまで」

 

「大切なこの時間」

 

「焦る必要なんてどこにもない」

 

「むしろ……」

 

「早く」

「もっと早く」

 

「チェ・ヨンにこんな時間を」

「持たせてあげたかった」

 

 

「バカな私」

「バカすぎる」

 

 

「なぜヨンの気持ちを

いつも分かってあげられないんだろう」

 

 

ウンスは自分を

責めたてていた。

 

 

 

あれほどのチェ・ヨンの涙。

あれほどの……。

 

 

 

その男がどれほど

追い詰められていたか

分かっていたようで

結局はまったくわかってなく

 

夫婦なのに

まるで妻としての役割を果たしてなく

 

不甲斐なさと

自分の男を

これほどまでにさせてしまった

情けなさで

 

怒りにまみれ

その感情の持って行き場がなく

迷っていた。

 

 

本当はすぐにでも

 

跪き

自分を欲している

チェ・ヨンを

見つめたいのに。

 

その瞳に

自分のすべてを

映し出したいのに。

 

 

あの男が

あの迂達赤隊長が

 

「I love you」

 

の言葉を言うことが

どれほど

大変なことか

 

ウンスは十分に

分かっていたから。

 

 

 

 

あの時、あの男に言った

 

「この方に、想いを寄せています」

 

そんな言葉じゃない。

そんな言葉じゃ。

 

まるでそんな言葉じゃ

ない。

 

 

「アイシテル」

 

本当はそう言いたいのに

でもあんな姿を

自分に見せてしまったことが

恥ずかしくてたまらなくて

堂々と言えないのだろう。

 

 

精一杯の

チェ・ヨンの

愛の言葉。

 

精一杯の。

 

そんなこと、十分

分かっていたが

ウンスもまた

自分の情けなさで

素直になれずにいた。

 

 

だが

 

「俺とお前」

 

「いつも一緒だ」

 

 

その言葉。

 

あの時

仮祝言の時

言ってくれた

あの言葉。

 

「いつも一緒....」

 

その言葉。

 

 

 

 

「ああ、そうだった」

 

「だからチェ・ヨンは

私を戦いにも連れていってくれた」

 

「足手まといでしかないのに」

 

「チェ・ヨンはいつも」

「私のことだけを考えてくれてる」

 

 

チェ・ヨンの四つめの言葉で

ウンスはすっと素直になり

 

何もかも忘れ

緩やかな

キラキラヒカル

軌道を描きながら

 

チェ・ヨンの

反り返る唇に

 

ふっと

 

キスをした。

 

 

ウンスの長い髪が

跪くチェ・ヨンの頬を

はらんと覆う。

 

 

髪に埋もれたチェ・ヨンの

唇に

上から自分のそれを

落とし

ふわっと

触れる。

 

 

チェ・ヨンは

瞳を静かに

閉じた。

 

 

突き出すように上げた顎。

 

そこに降りる

ウェーブのかかった

柔らかく赤茶の髪。

 

 

 

 

微かに触れる

あの人の唇。

 

その唇は

ふわっと触れ

そしてすぐ

ふわっと離れた。

 

 

だが

そのまま

 

チェ・ヨンの唇の

側にいる。

 

顎を突き出したままのチェ・ヨン。

顔を下ろしたままのウンス。

 

唇と唇の

僅かな隙間。

 

 

二人の吐息だけが

その唇と唇の間を

行き交い

なぞる。

 

チェ・ヨンの口元が

やんわりと緩み

 

閉じた瞳の目元には

笑い皺ができた。

久しぶりの

チェ・ヨンの

真の姿。

真の笑顔。

 

そのまま

互いの息づかいと

互いの吐息を

カンジる

 

二人。

 

 

 

「ああ………」

 

「あの人が」

 

「ここに」

 

「俺のそばに」

 

「俺の元に」

 

「いる」

 

 

「あの人が……」

 

 

 

地面に落としたその膝に

両手をついて

かしこまるチェ・ヨン。

 

立ったまま

首から先だけを

落として

 

チェ・ヨンの唇の

四ミリ先に

いるウンス。

 

だが、その姿勢は

少しウンスには厳しく

 

 

「あ……………」

 

ついにそう言いながら

体制を崩して

よろめいた。

 

その体制のままで

ずっと何分もを過ごすのは

少しウンスには辛かった。

 

よろめくウンスを

受け止めようと

慌てて手を差し伸べた

チェ・ヨンだったが

 

自分の膝も

情けないことに

ずっと同じ体制でいたせいで

少しばかり心許ない状態に

なっており

 

ウンスの躰を受け止めたまま

チェ・ヨンは

樹の根元に植えられた

緑の草むらの中に

ばさんっと

倒れこんだ。

 

あの崔家の草原の先の

蒼い草むらまではいかないが

そこを想定して

作り変えられた

チェ・ヨンの邸宅の中庭。

 

だからそこに倒れこんでも

チェ・ヨンは全く痛くも痒くも

なかった。

 

冬だというのに

暖かいその地面一面に

生えている

蒼い草たちが

 

 

「ようやく来たのか」

 

そう言っているかのように

二人を優しく受け止める。

 

 

チェ・ヨンの躰の上に

おもわず乗ってしまった

形のウンス。

 

 

恥ずかしくて

そこからすぐに退こうとしたが

 

チェ・ヨンにふわっと

抱きしめられ

 

下から

 

 

「なぜ、逃げる」

 

そのような

また拗ねた顔をしている

チェ・ヨンを見て

 

思わず笑った。

 

 

ウンスのその顔をみて

チェ・ヨンも

笑う。

 

 

「インジャ」

 

「待たせた」

 

 

 

「すまぬ」

 

 

「許せ」

 

 

 

そう言うと

 

 

ウンスは

 

「ごめん」

 

その一言だけを言った。

 

 

 

「あなたの心分かってあげられなくて

ごめん」

 

「私、こんなに情けなくてごめん」

 

「あなたをこんなにも追い詰めさせて」

 

「ごめん」

 

「ごめん」

 

 

 

「ごめんなさい」

 

 

 

笑ってるウンスの顔の

影に隠れている

ウンスの慟哭。

 

 

チェ・ヨンは、

 

自分が

あれほど自分を

さらけ出したというのに

 

この人は、まだこうして

自分の本当の気持ちを

しまわれるのか

 

そう思うと

少し寂しく

 

だからこそ

 

ウンスの両頬を

あの時のように

びろんと引っ張り

 

怒るウンスを

ぎゅっと抱きしめると

 

 

ごろんごろんごろん

 

ごろんごろんごろん

 

 

 

蒼い草むらを

あの時のように

二人一緒になったまま

回りだした。

 

 

本当はこんなこと

いつもしたいのに

 

あの蒼い草むらでなければ

できない。

 

使用人やいろんな者が

いるここでは

このような姿見せられない。

 

そんな辛い場所でもあったが

今は、そのようなこと

御構い無しだった。

 

 

 

 

 

大晦日。

 

暇をとらせて

ここにいるのは

奥の部屋に潜んでいる

あの者たちだけ。

 

これから

あの

崔家の草原に

たどり着くまでの困難を

考えれば

 

これくらいの時がなければ

乗り越えられないだろう

 

そう、チェ・ヨンは思い

まるで子供のように

そうしてウンスと

笑いあうと

 

再び自分の女の瞳を

じっと見つめ

乱れた髪をなでてやり

 

一息ついて

 

 

「アイシテル」

 

 

その言葉を

自分の女に

捧げた。

 

 

 

 

「アイシテル」

 

「アイシテル」

 

「アイシテル・・・・・」

 

 

そう、何度も何度も

チェ・ヨンは

ウンスの耳元で

ささやき

 

そしてその唇に

 

キス

 

をした。

 

 

 

 

「アイシテル」

 

 

 

 

「愛してる」