「ぱたん」
チェ・ヨンは自分たちの寝所の
扉を静かに閉めると
へなへなと座り込んだ。
「み……ら……れ…た……」
「お…れ…と……」
「したこと…が……」
最近は
あまりすることもなくなっていた
床に腰をがくんと落とし
片膝を立てそこに肘をつき
額へとその手をもってくる
あのチェ・ヨンの姿。
夕暮れを告げる
真っ赤な太陽のヒカリが
チェ・ヨンの背中と
片方の頬を
窓越しに刺している。
「いた…い……」
そうつぶやいていた。
「いた…すぎ……る……」
その言葉を重ねながら
額をしかめ、胸に手をやる
チェ・ヨン。
あろうことか
密かに
スリバン街の食堂を営む
女将とともに鍛錬してきた
極上の握り飯を自分で握る
そんな姿を
迂達赤隊員たちに
ばっちりと
見られてしまった。
しかも、かなりの至近距離で。
子供の頃から
どうしてもやってみたかった
チェ・ヨンの願い。
その一つが、
握り飯を自分で握ることだった。
大好きでたまらぬ握り飯。
チェ・ヨンにとっては飯の中で
なによりもの馳走であった。
母が一度だけ作ってくれた
握り飯の味が
幼いながらに忘れられず
それと同じものを
探し求めていたが
どうしてもなかった。
それに、子供のころ
幼馴染のミソンとよくあそんだ
泥団子を握ったあの感覚も
忘れられず……。
いかにきれいな団子を作るか。
日々鍛錬し、精進すればするほど
日に日に美しさを増していく
そのことが
本当に楽しく、
嬉しくてならなかった
チェ・ヨン。
美しく、滑らかで、つやつやな。
そんな団子を
日が暮れるまで隠れて作り
汚れた衣類を隠しておき
影で洗い乾かし……。
ついに
どこか様子のおかしい
チェ・ヨンを不審に思い
後をこっそりとついてきた
使用人に見つかり小言を言われた。
チェ・ヨンに強く怒ることなど
できるはずもなかったが
それでも、目を釣り上げていた。
「チェ・ヨン様たるものが
そのような女人の
しかも下々のするようなことを
なさってはいけません」
大好きな団子作りを
阻止されたこともさることながら
女人のとか
下々のとか
そういう言葉が嫌いで
チェ・ヨンは
気分が悪くなるほどだった。
「皆、平等ではいけないのか?」
「どうしてあのように
いかにも偉そうにしている
若い男に、
年上のそれもあんなにも優しい方が
頭を下げて謝っているのか」
自分のたったこれだけの楽しみを
頭ごなしに否定され
水を刺された形になった
チェ・ヨンは
それ以来、
泥団子を作るのを
すっかりやめた。
だが、あの握り飯は
大人になり、
自由に好きな場所へ
動けるようになってから
求め、探した。
うまい握り飯屋が西にあると聞けば
西にチュホンを駆けさせ
新しい握り飯屋ができたと聞くと
テマンに買いに行かせた。
だが、握られたふわっとした感じが
どうも自分の想う通りに
しっくりくるものはなく。
あともう少し
ほんの0.4ミリ。
それほどの隙間が
飯粒と飯粒の間にあれば
もっとうまい握り飯に
なると思うのに…。
そんな母に作ってもらった
極上の握り飯を持ち
二人だけの秘密の場所で
食べることが
最近のチェ・ヨンの夢に
なっていた。
だからこそ
飯をたくさん炊いておくように
指示をしたチェ・ヨン。
できたて熱々の飯を
ちょうど朝の時間に
作り終わって
おひつにいれるように
指示をだしておいたのに
あの急患騒ぎ。
チェ・ヨンの夢の
チェ・ヨンのあの
恐ろしいまで緻密に寝られた
でいとの計画が
またもや崩れ
台無しにされ
怒るはずであった。
拗ねるはずであった。
ふて寝するはずであった。
そんなチェ・ヨンの秘密を
知っているはずの
唯一の男。
自分の唯一の私兵。
テマンが
またウンスの味方についたかのような
動きをしていることも
チェ・ヨンには許せなかった。
「あいつ……」
再び、腹わたが煮えくり返ってきた
チェ・ヨン。
「まさか…ウンスに
言ってないだろうな」
「まさか、突然驚かせる予定の
俺の握り飯計画をまさか…」
「危ない」
「あいつは、危ない」
「しまった」
「まずい」
「あいつは、見たことを
そのまま言ってしまう男だった」
「焦れば焦るほど」
「おいつめればおいつめるほど」
「自分の信頼している人間だけには
嘘をつけない男だったのだ」
「ああ。俺としたことが」
「ああ。まずい」
「テマン」
「テマンはいるかっ」
チェ・ヨンはまだあの姿で
着替えをしていないその姿で
扉を再び開けると
すごい剣幕で
迂達赤のもとへと
戻っていった。
突然戻ってきたチェ・ヨン。
しかもまだ着替えてない
またあのすごすぎる姿で
戻ってきたチェ・ヨンを見て、
寝所がどこかと
同じ方角を見ていた
迂達赤たちは
慌てふためき
今度は前の方へ
積み重なるように
倒れていった。
「お前たちっ」
「どれほど鍛錬が足りないだっ」
「後ろへ前へ」
「腹筋というものがないのか」
「躰の芯はどうなっておる」
「立て」
「そこへ」
「早くっ」
チェ・ヨンは迂達赤隊員たちのいる
その場所へ
渡り廊下から
ひらんっ
と薄衣を宙になびかせ
舞い降りると
仁王立ちになった。
「テ…テジャン」
命令通り
なんとか直立不動になり
だが、しかし目のやり場に困り
伏し目がちにし
口もアワアワさせて
きけない様子の
隊員たちを代表し
なんとかチュンソクが
口を開いた。
「テ…ジャ…ン」
ぎろりと睨みつける
チェ・ヨン。
自分の衣がどうなっているか
まったく気づいていない。
頭に血が上りすぎて
むしろその涼しさと開放感が
チェ・ヨンには心地よく
気持ち良いほどで
自分の身なりが
そうであることに
まったく気づいていない。
「テマンはっ」
「テマンがいないでないかっ」
「テマンはどこへ行った」
そのままの姿で言う。
周りを見渡す隊員たち。
チェ・ヨンの寝所のありかを
探すのに必死で
こっそりテマンが
口を抑えながら逃げ出していたことに
まったく気づいていなかった。
だが、チュンソクだけは気づいていた。
その手を瞬時に引き止めようと
したが
「あの慌てた様子はただごとではない」
「これは一人泳がせた方が
このあと良いかもしれぬ」
そう考え、止めなかった。
それに、テマンの動きが俊敏すぎて
止めるには少し遅すぎもした。
「テマンはどこだと聞いておるのだ」
チェ・ヨンの恐ろしいまでの怒りが
その低すぎる声に現れている。
ふと見ると
久しぶりにあの握りこぶしが
ピリピリとイナズマを帯び始めてる。
「これはまずい」
そう思うと同時に
チャンソクの口が
滑っていた。
「テマンは」
「あちらに」
「寝返りました!」
言ってから
しまったという顔を
見せたチュンソク。
驚いた迂達赤隊員たちも
全員チュンソクを見つめる。
本当は
「テジャンのそのお姿が」
「悩ましすぎます」
「背中に赤い花びらが
見えております」
そうはっきりと
チェ・ヨンの弱点を付き
弱らせる作戦だったはずなのに
チェ・ヨンのことを
こよなく愛し
人生の唯一の上司
そう決めているチュンソクに
そのような言葉は
この場で
どうしても
言えなかった。
だからつい
チェ・ヨンが逆に
チェ・ヨンらしく
勢いづくようなことを
しかも
証拠もない
ただの想像を
言ってしまった。
チェ・ヨンは
そのチュンソクの言葉に
驚くと
「チュンソク」
「ついて参れ」
そう言い、再び
先ほどと同じ方向へと
消えていった。
先ほどと同じ場所で
また立ち止まり
ぎりっと
後ろを振り返り
自分とチュンソクを
見つめている
隊員たちに
言った。
「ところで」
「お前たち」
「握り飯は食ったのか」
額に汗をにじませる
隊員たち。
「どうしてよいのかわからないのに
このうえチュンソクまで
連れて行かれてしまったら
どう判断すれば・・・」
そう焦る隊員たち。
もちろん
チェ・ヨンの元を
去れるはずなどない。
だが、チェ・ヨンの
握り飯を食べる
勇気もない。
何も言えずおし黙る
隊員たち。
「お前たちの想い」
「それくらいなのか」
「よい」
「分かった」
それだけ言い残すと
チュンソクを伴い
再びあの影へと
消えていった。
すぐに円陣を組む
隊員たち。
「まずいぞ。これは」
「テジャンは本気だ」
「この本気には」
「すぐ」
「今すぐ」
「テジャンが戻ってくるまでなど
悠長なことはしてられぬ」
そう言うチュソク。
頷く隊員たち。
「やはり、あれか」
トルベがすべて知っているような
顔をして言う。
「あれだ」
答えるチュソク。
「あれって…」
二人を見回すトクマン。
一斉にトクマンの頭をはたく。
「お前はそれだからダメなんだ」
「図体ばかりでかくて」
「まったく!」
そういうと
トクマンを引きずりながら
「失礼いたします」
そう最敬礼し
チェ・ヨンが握っていた
台所へと入っていき
再び丁寧に
チェ・ヨンの握った
握り飯に最敬礼の
お辞儀をすると
そこに置いてある
見るからにつやつやと
均等に整然と陳列されている
握り飯を
用意されていた
包みにすべて
それはそれは
丁寧に大切にしまい
チュソクが大事そうに抱えると
残った四つを
それぞれの
震える手に持ち
チェ・ヨンと
チュンソクの
後を急ぎ追った。
握り飯を持つ手が
痺れ、熱く、震え
ひどい筋肉痛のような
痛みが躰中を駆け巡り
ひたひたと走りながらも
ひどい顔をしている
チュソク
トルベ
トクマン。
チュソクは大事そうに
握り飯の包みを持ち
トルベは
手にチュンソクの分の
握り飯を持ち
腕が今にも
引きちぎれそうだった。
トクマンはその背後から
「大丈夫か」
そのような顔で
腕を一番震わせながら
追いかけてきている。
見つけた。
ようやく。
二人の影を。
話をしている。
「先ほど言ったこと説明しろ」
「は…は…い…」
「寝返ったとは」
「どういう意味だ」
チェ・ヨンはどうやら
着替えながら尋問をしているようで
窓から
チェ・ヨンの
あの薄衣をはらんと落とす
影が見え
その瞬間
「うっっっっ」
そう唸り声を静かにあげている
チュンソクの声が聞こえてきた。
その時!
チュソクが声をかけた。
「テジャン!」
「失礼したしますっ」
「我ら、ただいまから
テジャンが丹精込められ
医仙様とのお時間を過ごされた
そのお躰そのもので
それをあからさまにしながらも
握られた、この
テジャン特製の、この
史上最高の、この
誰も口にしたことのない、この
最高傑作の握り飯様を
いただきます」
「いざっ」
その口上に
後ろにいた
トルベとトクマンは
驚き
だが、慌てて
口にしようと
大口を開けた
その瞬間
「ばたんっ」
勢いよく扉が開いた。
握り飯の一口目を
いよいよ
震える躰と
流れる雫で
ぐちゃぐちゃになりながら
でかい口で
ほおばろうとしていた
チュソクとトルベとトクマンは
思わず
それを
手から
落とし
それに慌てて気づき
滑りこむように
それぞれを
なんとか受け止めた。
薄衣をはらんと
ちょうど脱ぎ捨てたところだった
チェ・ヨン。
その姿は
あの水浴び場で
昔よく見ていた
チェ・ヨン
そのものであったが
そこから放たれる匂いと
背中に舞う紅い花びらが
迂達赤隊員たちの前で
より匂いを増し
初めて
チェ・ヨンとウンスの
愛のアトが
明らかに
あからまさに
なってっしまった
その瞬間
でも
あった。
食うのかっ
食え
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