1カ月以上かけてやっと読了した、「ホモ・デウス」上下巻の読後録。人間は歴史上追い求めてきた「戦争」「飢餓」「病気」を克服しつつあり、この先は生命工学と情報テクノロジーの進化により「不老」「幸福」「神性」の獲得を目指すようになるだろう。それは正にサピエンス種からの進化というべき大きな変化だが、それにはこれまでの人類史の中で到達してきた「アニミズム」→「神中心主義」→「ヒューマニズム」という人類社会共通の価値観を、さらに更新させる必要がある。それは「データ教」とでもいうべき存在だ。

 

人間の欲望を次々と実現させていくためには、個々の判断や体験では間に合わず、一切の情報を一本化したインターネットから導かれるアルゴリズムに身をゆだねるしかない。インターネットAIは、あらゆるデータを統合して我々が最も満足する可能性の高い選択肢を示してくれるわけだが、そのためには全てのプライバシーを情報として差し出す必要があり、それは「個人」の消滅につながる。そもそもあらゆる判断を全能な他者に委ねることが一般化された社会で、個人の生きる意味や目的はどこへゆくのだろう。

 

我々は狩猟採取の時代から文明社会の現代に到達したことを「進化」と呼ぶが、五感や身体能力は間違いなく退化しているだろう。先人たちの優れた業績の積み上げの上に豊かな生活を送っている我々だが、個々の能力は数万年前からどれだけ進歩したと言えるのか?そしてこの先、快適さを求めて葛藤・苦悩・感情さえも「データ神」の前に委ねてしまうことになれば、もはやかつて映画で見た(「コンスタンティン」だったか?)バーチャル世界の中で理想生活を夢見続ける、実態はカプセル内で横たわりチューブにまみれて過ごす廃人と変わらないではないか。

 

著者は問う。生命はアルゴリズムに書き替えられるのか、意識に価値はあるのか、人生にはデータフロー以上の意味があるのか。…俺にはこの程度の解釈が精いっぱいだったが、しかし個々の体験よりデータ神の選択の方がはるかに優れているとしても、我々は少なくともひとつは個々の体験を通じて幸福を実感するケースを手放さないのではないか。それが「子育て」だと思う。してみると人間も他の動物も変わらず、生きる意味は次世代を育てること=すべての生き物は同列というアニミズムに回帰するのかな。著者はゲイということだったが、その方面の視点が少し足りないように感じた。

 

午前中授業、昼休みに新たな進路決定者への課題説明をして、午後からは出張でK塾主催の出願動向研究会。こちらは「そんなに模試データを信じて大丈夫?」という感想だが、これもビッグデータにつながれば我々がいちいち分析・検討しなくても「○○大学が一番成功率が高い」というご宣託を受け取るだけでよいのかも。いやそうなったら、そもそも個々が大学へ行って勉強する意味もなくなるか。

 

そのまま直帰なので18時前に帰宅できた。実は出張に向かう途中で来来亭の赤辛ラーメンを食べてしまったのでそれほど空腹ではない。しかしお陰でアルコールは我慢できた。焼き肉・焼きナス・チキンサラダの夕食、BGMは「おるたな」。「タイムトラベラー」が良いと口々に子供たち。原田真二が懐かしい。