お袋の意識が戻らないまま朝を迎え、どうしようか迷いながら5時半にA子を起こすと、彼女は直ちに「天竜の救急外来に連れて行こう」と断を下す。本当に頼もしくまた自分の優柔不断が情けない。毛布でくるんで抱えて運び出し、車に乗せて連れていく。長い時間かかっていろいろ検査、その間に学校に年休の電話をし交代で朝食を食べに戻る。子どもたちはYが指揮を執って朝食から登校まで行ってくれた。頼りになる。
担当医の先生から説明を受けたのは10時過ぎ。転倒時の外傷はなく、低ナトリウム症による一時的な意識混濁だろうと告げられる。塩分の点滴と、自分で排尿ができず膀胱がに一杯なっているのでとカテーテルを差し込んでの排尿。昨日気持ち悪くなってから食事をとらなかったのが、もともと栄養不足だったのに追い打ちをかけたようだ。
普段の通院時もナトリウム等の数値が悪くなっていることがあり、強く入院を勧めても決してうんと言わなかったらしい。何より家族にいろいろ報告されるのが嫌で、頑なに俺やA子の連絡先を教えなかったようだ。「やっと電話番号が分かったよ」と喜ばれる始末。栄養分が行き渡れば意識は戻るだろうが、何分高齢なので事態が急変する可能性もあると、緊急時の延命治療の可否を確認される。無理な延命は望んでいない、はずだったよなと不安になりながら返答。
姉貴やN代おばさんに連絡して、いったん入院準備と買い物に戻る。家でA子とインスタントラーメンの昼食。昼を抜く予定ではあったが、一緒に食べこれまでの労をねぎらい合う。今後の介護の日々を思うと気が重い。でも二人で乗り切っていくほかないのだ。
いろいろ必要なものを入院の部屋に届け、まだ意識のないお袋に「頑張れよ」と声を掛けて退出。学校へ向かう。とは言っても俺のやるべきことがあるわけでなく、7限総合の進路別ガイダンスで講師をしてくれる3年部の先生方にお礼を言って回る程度。明日の日報を作って配り、定時に退出。
A子はピアノレッスン後、再度病院に行って様子を見てきてくれた。何とお袋の意識は戻っていたが、昨日一昨日の記憶が全くない状態で、気づいてすぐ点滴やカテーテルを引き抜いてしまったようで、病室を変更され拘束衣のような手袋をはめさせられ怒っていたという。頼むから医師の指示に従って大人しく入院生活を送ってほしい。
その間俺は夕食準備。今日はIの誕生日なのだ。チルドのチーズハンバーグ、ポテサラ、ケチャップライス。誕生日おめでとう~と、ジュースとワインで乾杯。そう、俺の人生は子どもたちの未来のためにこそあるのだ。
担当医の先生から説明を受けたのは10時過ぎ。転倒時の外傷はなく、低ナトリウム症による一時的な意識混濁だろうと告げられる。塩分の点滴と、自分で排尿ができず膀胱がに一杯なっているのでとカテーテルを差し込んでの排尿。昨日気持ち悪くなってから食事をとらなかったのが、もともと栄養不足だったのに追い打ちをかけたようだ。
普段の通院時もナトリウム等の数値が悪くなっていることがあり、強く入院を勧めても決してうんと言わなかったらしい。何より家族にいろいろ報告されるのが嫌で、頑なに俺やA子の連絡先を教えなかったようだ。「やっと電話番号が分かったよ」と喜ばれる始末。栄養分が行き渡れば意識は戻るだろうが、何分高齢なので事態が急変する可能性もあると、緊急時の延命治療の可否を確認される。無理な延命は望んでいない、はずだったよなと不安になりながら返答。
姉貴やN代おばさんに連絡して、いったん入院準備と買い物に戻る。家でA子とインスタントラーメンの昼食。昼を抜く予定ではあったが、一緒に食べこれまでの労をねぎらい合う。今後の介護の日々を思うと気が重い。でも二人で乗り切っていくほかないのだ。
いろいろ必要なものを入院の部屋に届け、まだ意識のないお袋に「頑張れよ」と声を掛けて退出。学校へ向かう。とは言っても俺のやるべきことがあるわけでなく、7限総合の進路別ガイダンスで講師をしてくれる3年部の先生方にお礼を言って回る程度。明日の日報を作って配り、定時に退出。
A子はピアノレッスン後、再度病院に行って様子を見てきてくれた。何とお袋の意識は戻っていたが、昨日一昨日の記憶が全くない状態で、気づいてすぐ点滴やカテーテルを引き抜いてしまったようで、病室を変更され拘束衣のような手袋をはめさせられ怒っていたという。頼むから医師の指示に従って大人しく入院生活を送ってほしい。
その間俺は夕食準備。今日はIの誕生日なのだ。チルドのチーズハンバーグ、ポテサラ、ケチャップライス。誕生日おめでとう~と、ジュースとワインで乾杯。そう、俺の人生は子どもたちの未来のためにこそあるのだ。