俺はIがミニバス練習に加わるようになってから、本当に自分がやりたいことに出会ってピアノ練習が苦痛になり、しかし物心ついた時からA子の指導を受け続けて、これを拒否するなんて思いもよらないほどのルーティンとなっており、心理的葛藤からA子に対してわざと怒らせる行動に出ているのかと思っていた。だからやめてもいいんだ、決めるのは自分だという選択肢を提示することでストレスから解放され、本来の自分に戻ることができると考え、奴に「このコンクールを最後と思って頑張れ、後は続けるかどうか自分で決めればいい」と言った(もちろんA子は嫌がったが、自分がIへの指導で疲れ果てているという自覚もあるので止めはしなかった)。


しかし奴は昨日帰ってくるなり「このままじゃ悔しいから、受賞者コンサート出れるように頑張るよ」と言ったのだ。まだ小3で自我も発達しておらず、車中でA子に言いくるめられたのかもしれない。しかしやはり、奴もまた上二人と同様ピアノに自分のアイデンティティを見出すようになっているのかも。しょせんミニバスでは万年補欠で、ピアノこそ自分が他と差別化できる最大の武器なのだと。ここまで自我の認識を育てるのが真の教育者・指導者だとすると、俺はA子に遠く及ばない。


今日はWさん人間ドックとかで、練習は俺に任されている。ハイシーズンだし手抜きと思われるのも嫌なので、持久系・ダッシュ系・耐乳酸系を取りそろえた7千超のメニューを組む。しかし暑くなると思って前半にきつい内容を持って行った配慮が裏目に出て、部員たちはその後の練習内容の多さを恐れてか思い切りダッシュできない。平凡なインターバル練習と変わらない内容になってしまった。いつも俺は脈を上げるメニューは最後に持っていくのだが、変なところでWさんメニューの影響を受けてしまっているのかも。

練習が終わり、午後の長い時間が始まる。年休を取って帰りたい気持ちもあるが、昨日渡した転学願を持ってN山母が急に訪れるかもしれない。今日は担任のF原さんが休みなので、少なくとも俺は待機しておかねば。そう、夏休みに入って、仕事の多くの部分がこの「職員室で待機していること」だと気づかされる。いろんな問い合わせや確認が俺のところに集まってくるというのは、マイペースで過ごすことができていた担任時代にはなかった体験だ。とにかく居ることで役割を果たしているのだと思い、読書その他で暇をつぶす。

定時に即帰る。N山母は結局来なかった。買い物をして、今日はWのコンクールが18時開始、講評を聞いて帰ってくるのが21時過ぎになるというので時間のかかる献立にしようと三色カツ。猛暑のせいかいんげん豆がやたら高いのでにんにくの芽で代用。留守番のYと一緒に肉で野菜を巻き、ゴマを加えた衣をつけていく。サイドメニューはインスタントのふかひれスープに春雨・干しシイタケ等増量してアレンジ。Yは思ったより器用にカツの元を作っていく。手のべとつきも気にしないし、案外料理に向いているかも。


Wは元気に帰ってきたが、銅賞という結果にA子は納得いかない様子。「素晴らしい出来で、金賞・特別賞かもと思ったのに」と立腹している。しかし続けて「結局、こういうコンクールは審査員次第の水物なんだね」というのは、自分で自分の努力を否定していることにならないか?夕食は大好評で、たちまち売り切れて満足。