週末に扇風機を屋根裏部屋に仕舞った時、段ボールに入った大量の書籍の中からナンシー関の文庫本一群を発掘、どっさり本棚に移してこれから再読するのが楽しみだ。俺とA子は趣味の部分でほとんど合わないが、ナンシーの文章ファンという点では一致する。彼女の最大の魅力は毒のある文体でも権威に左右されない生き方でもなく、細やかな心理・感情の動きを鮮やかに言語化してみせる文章力だ。これだけ誰もが文章を綴る時代にあって、誰も彼女の高みにまで到達できない圧倒的な表現力。地方出身の全くの無名な立場から、消しゴム版画というキャッチはあったもののほぼ文筆力だけで当時のサブカル界に存在を認めさせていったと言える。

ただ彼女が(恐らく不摂生で)早死にしたのは、冷徹な洞察力を持つゆえにそれが自身に向けられた時、僅かでもナルシシズムやエゴイズムと感じられる言動を自分で許せなかったのではないか。エコとか健康とか、そんなものに頑張っちゃってどうするつもりよ私、と自分に突っ込みを入れる含羞が、結果的には破滅的な生き方につながっていったように思う。なんて分かった様に分析されるのも嫌がるだろうな。俺の勝手な思い込みです。

朝は残り物で簡単に済ませる。学校はテスト関連の仕事がやっと一段落、2週間前の進路課出張の報告書にいよいよ手をつけねば。放課後久しぶりに部活に顔を出し、練習内容には口を出さず活動を見守る。指示を出さない方が自分たちでいろいろ工夫して意欲も高められるようだ。オフの間は、温水プールの時以外はこの形で取り組ませればいいだろう。一緒に運動したわけでもないのに帰宅する頃には大きな疲労感。これも老化かね。しかしA子はピアノ練習とYの英会話教室送迎に時間をとられ、やっぱり俺が台所片付けと夕食準備。いつものことだからいいのだが、疲労感が濃い時は「一緒に遊ぼう」とまとわりついてくる祈さえも疎ましく感じてしまう。

夕食は山芋とナメコ・抜き菜・蒲鉾を具としたそば、蒟蒻の味噌田楽。山芋擦りおろしが気色悪いのかYも和子もあまり食べようとしない。こういう反応を示すだろうなと分かってはいたのだが、いろんな味覚に触れてもらいたいという配慮からあえて子供たちの分まで山芋とろろを乗せた。後で二人とも帰宅してからA子の手作りスイートポテトをたくさん食べていたと知る。そんなにおやつに労力をかけるよりも、たまには夕食準備を済ませて俺の帰宅を迎えてほしいものだ。