どうやら梅雨は明けた様子。久々に青空が広がり気持ちいいが、日中は本格的に暑くなりそうだ。寝室で母子と一緒に寝るようになり、目覚ましをかけなくなったが、今のところはほぼ定刻通りに目覚めることができている。子供たちと一緒に寝ついているのだから、そりゃ睡眠時間は足りているはずだ。朝食は焼きジャケ・キャベツとエノキの味噌汁・納豆。金魚たちの朝の餌やりへの食いつきが尋常じゃなく激しい。夏場は午後にも1回与えるようA子に依頼してあるが、毎日やっているのか疑問。以前確認したところ「きちんとやってます!」と疑われたのが心外なように反応されてしまったので聞きづらい。仕事と違い家事は役割分担も責任の所在も緩やかなままだ。
今日は午前授業のみの短縮日課。午後に一覧表を作り終え、勉強合宿のしおり作りに励む。途中スポーツ店から頼んでいたチームジャージのサイズ見本が届き、部室に届けると、今日も既に練習は終わっていたものの、1年連中が自主練をやっていた。これまでの部員達と違い、やる気があるなあ。昨日I先生から、今年はないと思っていた遠征中の代理監督を頼まれ、やれやれと思っていたが、連中の取り組み姿勢を見ると、少しでも良い環境のもとで練習できる機会を積極的に増やしてやらねばと思う。
帰るとレッスンを終えたA子が「近所の花火大会に誘われちゃって、子供たちを連れていきたいんだけど、そのために夕食を6時半にしたいの」と告げられる。この言葉だけ聞くと6時半に夕食ができるのを待っていれば良いように思えるが、我が家ではそうではない。「6時半に食事できるように作っておいてくれ、その間はピアノ練習をやっているから」と読みとらねばならないのだ。何だかずるいと思うが、でも花火大会に3人を連れていってくれると聞けば協力せざるを得ない。夕食はラーメン。自家製叉焼を使い切る。初めは一緒に行くといっていた祈が出かける直前になって「怖いからおうちにいる」と言いだし、しかしA子やYが懸命になだめて連れ出してくれた。あーやれやれ。
大河「清盛」の、池禅尼の願訴で頼朝の死罪が減じられるところをどう描くか興味津々だったが、「俺が武士の世を作っていくのを見届けろ」と伊豆配流を命じるのはちょっと都合良すぎ。それまでの、断じて生かしておいてはならないという気迫が何だったのかと疑問に思える。義経ら幼児を見逃すのはまあ分かるけどね。帰って来た子供らを風呂に入れ、歯磨きをして絵本を読み聞かせる最中、和子が俺の脇をくすぐる。やめろといってもふざけて止めず、おまけに祈までが加わる。思わずカッとして絵本を放り投げ、「もうやめた」と寝室から出てきてしまった。我ながら本当に大人気ないなあ。
今日は午前授業のみの短縮日課。午後に一覧表を作り終え、勉強合宿のしおり作りに励む。途中スポーツ店から頼んでいたチームジャージのサイズ見本が届き、部室に届けると、今日も既に練習は終わっていたものの、1年連中が自主練をやっていた。これまでの部員達と違い、やる気があるなあ。昨日I先生から、今年はないと思っていた遠征中の代理監督を頼まれ、やれやれと思っていたが、連中の取り組み姿勢を見ると、少しでも良い環境のもとで練習できる機会を積極的に増やしてやらねばと思う。
帰るとレッスンを終えたA子が「近所の花火大会に誘われちゃって、子供たちを連れていきたいんだけど、そのために夕食を6時半にしたいの」と告げられる。この言葉だけ聞くと6時半に夕食ができるのを待っていれば良いように思えるが、我が家ではそうではない。「6時半に食事できるように作っておいてくれ、その間はピアノ練習をやっているから」と読みとらねばならないのだ。何だかずるいと思うが、でも花火大会に3人を連れていってくれると聞けば協力せざるを得ない。夕食はラーメン。自家製叉焼を使い切る。初めは一緒に行くといっていた祈が出かける直前になって「怖いからおうちにいる」と言いだし、しかしA子やYが懸命になだめて連れ出してくれた。あーやれやれ。
大河「清盛」の、池禅尼の願訴で頼朝の死罪が減じられるところをどう描くか興味津々だったが、「俺が武士の世を作っていくのを見届けろ」と伊豆配流を命じるのはちょっと都合良すぎ。それまでの、断じて生かしておいてはならないという気迫が何だったのかと疑問に思える。義経ら幼児を見逃すのはまあ分かるけどね。帰って来た子供らを風呂に入れ、歯磨きをして絵本を読み聞かせる最中、和子が俺の脇をくすぐる。やめろといってもふざけて止めず、おまけに祈までが加わる。思わずカッとして絵本を放り投げ、「もうやめた」と寝室から出てきてしまった。我ながら本当に大人気ないなあ。