最近疲労感が激しく、仕事に向かうのが億劫で仕方ない。これって鬱病の始まりでは?…と心配になるが、それほどの厭世観や自己嫌悪があるわけでもない。ただ事あるごとに「あと10年、あと10年でローンが終わる…」と考えているのも事実。ローンが終わったって順調に行ってもその頃はYはまだ高3、祈に至ってはようやく小学校を卒業しようという年で、親の養育責任はまだまだ続き学費は一層かかってくるわけだが。それに10年の月日を今から指折り数えて待つなんて、懲役囚人のようで精神的に甚だしく不健康だ。そう分かってはいるのだけどねえ。
今年度近隣校へ転勤したY下さんが、俺の前任校の同僚Y井さん(今は結婚して別の姓らしい)と一緒になり、俺の話題になって「あのエネルギッシュで仕事熱心な先生」との人物評を受け、一緒に働いて感じてきたイメージと違うなあと感じたらしい。離任時に「前の学校ではずいぶんと熱い先生だったようですね」との感想をいただいた。今の俺は周囲から見るとそれほどの熱意も感じられない怠惰な人物に映っているのだろう。自分としては、少なくとも授業では同じような熱心さで取り組んでいるつもり。だがクラス・部活・分掌仕事等々となると、恥ずかしながら少しでも楽をしようという気持ちが湧きでてくるのを否めない。
正直、早く定年退職して全ての義務から解放され、悠々自適な暮らしを送りたいというのが願いだ。願いというより夢想することといった方が近いか。しかし俺が朝から晩まで好きなようにふるまっていいとなったら、まず間違いなくアル中になるだろう。或いは日がな一日ネットで過ごし視神経をやられるか、痴呆が進んで外に出られなくなるか。とにかく社会との接点が急速に失われ、廃人コース一直線となるのは想像に難くない。仕事は、義務というものは人を良識と社会に結び続けてくれるものだとつくづく思う。年をとったら引退して仕事を若年層に譲るべきだという意見が高まっているが、賃金はともかく役割を奪ってしまうのは酷なことだろう。…あれ、考えが反対になっている。
とまあ、自分でもあり得ない状況を夢想してため息をついている日常というわけだ。疲れが溜まっているのだろう。朝はキャベツとソーセージ炒め・味噌汁の残り。昼はカップの「一平ちゃん」味噌味。夜はA子作のクリームシチューとガーリックトースト。騒がしい子供たちに怒り声を発してしまうのも、俺の耐性が弱まっている証拠か。子供たちにも生徒たちにも、つまりは逆らえない弱い立場の者に強権的に振る舞うのは、恥ずかしい卑怯な振る舞いだと、より強く思い続けよう。
今年度近隣校へ転勤したY下さんが、俺の前任校の同僚Y井さん(今は結婚して別の姓らしい)と一緒になり、俺の話題になって「あのエネルギッシュで仕事熱心な先生」との人物評を受け、一緒に働いて感じてきたイメージと違うなあと感じたらしい。離任時に「前の学校ではずいぶんと熱い先生だったようですね」との感想をいただいた。今の俺は周囲から見るとそれほどの熱意も感じられない怠惰な人物に映っているのだろう。自分としては、少なくとも授業では同じような熱心さで取り組んでいるつもり。だがクラス・部活・分掌仕事等々となると、恥ずかしながら少しでも楽をしようという気持ちが湧きでてくるのを否めない。
正直、早く定年退職して全ての義務から解放され、悠々自適な暮らしを送りたいというのが願いだ。願いというより夢想することといった方が近いか。しかし俺が朝から晩まで好きなようにふるまっていいとなったら、まず間違いなくアル中になるだろう。或いは日がな一日ネットで過ごし視神経をやられるか、痴呆が進んで外に出られなくなるか。とにかく社会との接点が急速に失われ、廃人コース一直線となるのは想像に難くない。仕事は、義務というものは人を良識と社会に結び続けてくれるものだとつくづく思う。年をとったら引退して仕事を若年層に譲るべきだという意見が高まっているが、賃金はともかく役割を奪ってしまうのは酷なことだろう。…あれ、考えが反対になっている。
とまあ、自分でもあり得ない状況を夢想してため息をついている日常というわけだ。疲れが溜まっているのだろう。朝はキャベツとソーセージ炒め・味噌汁の残り。昼はカップの「一平ちゃん」味噌味。夜はA子作のクリームシチューとガーリックトースト。騒がしい子供たちに怒り声を発してしまうのも、俺の耐性が弱まっている証拠か。子供たちにも生徒たちにも、つまりは逆らえない弱い立場の者に強権的に振る舞うのは、恥ずかしい卑怯な振る舞いだと、より強く思い続けよう。