朝は昨日作りそこなったチャプチェ。朝からこってりゴマ油風味だが、意外と食欲をそそる。Yなど率先してお替りをするほど。尤も肉はあまり手をつけず、もっぱら春雨がお気に入りのようだ。Yが美味しそうに食べると、和子も競争意識を発揮して積極的になるのがいい。今日は幼稚園の遠足の日。曇り空だが何とか保ちそう。行き先はM園公園と近場だが、電車で行けるのとお菓子を持参できるのが楽しみなようだ。

テスト最終日も何とか全員揃って無事終了。ドカッと答案用紙が戻って来て、これから月曜までに採点しなければならない。進学の面接練習などもやっていたら、今日から再開した練習を見に行く暇をなくしてしまった。一応サーッキットメニューは渡したが、果たしてきちんとできたかどうか。午後はずっと採点をして過ごす。3年世Bが、出来不出来の差があまりに両極端で呆れる。勉強をやっていない奴はとことんやっていないね。

ぼやきながら採点していたら、Yの迎え時間に遅れそうになる。慌てて年休届を出し、小学校へ向かう。ギリギリ放課の時間に間に合ったと思ったら、何故かA子が和子を連れて先に来ている。聞くと、着替えと車中のお握りを持ってきたという。手厚い支援なことだね。Yを乗せI市のM先生宅へ行くと、いつもの駐車スペースに車が横向きに止めてあって、ギリギリに一台止められるだけ。切り返しを繰り返して何とか駐車させるが、あまりの接近に向かいの家から親父が興味深そうに見つめていたっけ。一旦そこに止めて先生に事情を話し、Yを引き渡した後で俺は車を移動させ、レッスン中は近所の本屋の駐車場で過ごすことにする。

本屋に停めたと言っても、丁度手元には図書館から借りてきた本があって買うことはない。内田樹「下流志向」、知的好奇心を非常に刺激され、現代の教育問題がかなりクリアに見通せた感じがした。消費主体として育った子供たち(というか高度成長期以降に幼年期を迎えた世代だから俺たちだって範疇だ)は、本来等価交換の成立しない教育や家事育児に、苦役に見合ったリターンを求めてしまう。賢い消費者なら当然求める「できるだけ少ない出費で最大限の価値を」得ようとする。価値を見いだせない授業や労働には「代価を払わない」という選択ができない以上、不快感を表すことで均衡を図ろうとする、それがすなわち「学びからの逃走」「労働からの逃走」というわけだ。

自分の行った努力に対する正当な見返り(賃金以外にも評価や称揚など)が得られないと、あえて不快感を言動に表して取引を正常に近づけようとする、子供たちは怠惰で授業をサボり反抗するのではなく、正常な商取引の場に近付けたい熱意の表れなのだ。ってこの考え方は、俺の家庭内でのストレス要因とかなり近似だ。俺も本来見返りを求められない家事育児に、相応の評価を求めてじたばたしているところが多分にある。未熟というか資本主義に毒されているというか…不平不満を言動に表しがちな自分が恥ずかしくなった。帰って夕食はピザ。ワインを半分もらう。