子育てというのは一種のパニックゲームに似ている。サーキット状の線路におもちゃの電車を走らせ、一方でブロックを積みながら電車が定点に来た時に遮断機を上げてやらねばならない、という奴。常に何か一つのことに没頭するという状態を許さず、子供が泣くか訴えるかしたらどんな状況下でもそちらを優先せねばならない。この「集中してやっていることを放り出して子供に対処する」という脳の切り替えが、子育てにかかわって何年も経つというのに、いつまでも大きなストレスになっている。男と女の精神構造の違いだろうか、なんて考えるのは自分の忍耐力のなさを責任転嫁しようとしているだけか。
朝、和子がなかなか起きず「幼稚園に行かないの?」と聞くと頷いて布団にもぐってしまう。一旦は放っておいてそのまま相手にしないでおこうかとも思ったが、土日と休みが続いて登園しなかった罪の意識が軽減されてしまうと考え、無理に起こして大泣きする中を強制的に着替えさせる。泣いていてもテーブルに着かせるとそのうち落ち着いて、唯と無邪気に話し始めるので、要は切り替えるきっかけが必要だったのだと思う。尤も俺はこれから出勤し、通園班に交じって園までの長い道のりを歩かせるのは、また相当の忍耐と工夫が必要だろうが。朝食は昨日の鍋の残りにうどんと卵を落としたもの。
日曜に大会があるというのに、部員のH本は何も確認に来ない。また直前になって風邪ひいただの腹痛いだの言って休む算段だろうか。普段の練習に付き合っていない分、モチベーションが下がってしまっても無理はないのだが、たまの大会や合同練習すら参加しないでいると、活動実績が作れない。一応毛布を車に積み込み、遠征の準備をする。見かけたサッカー部のN先生に「どうしたんですか家で使うんですか」と言われてしまう。既によっぽど部活に縁遠い人間だと思われてしまっているのか。
家に帰り、母子がレッスンから帰ってくる間にピザを焼く。今日は俺が職員会議のため送迎ができず、A子に行ってもらった。相変わらず食事時になると眠いとぐずる唯・和子。冒頭のパニックゲームの感想は、夕食準備をしながら二人を席に着かせつつ頭に浮かんだ感想。もう唯が生まれて6年になろうとしているのに、相変わらずぐずり声を聞くと焦燥感に駆られてしまうのはどうしたものだろう。風呂に入れ、やっと「トイストーリー3」を最後まで見る。シリーズ最高傑作であることは明白だろう。しかしおもちゃと持ち主との幸福な別れって、どんな形が理想なんだろうね?
朝、和子がなかなか起きず「幼稚園に行かないの?」と聞くと頷いて布団にもぐってしまう。一旦は放っておいてそのまま相手にしないでおこうかとも思ったが、土日と休みが続いて登園しなかった罪の意識が軽減されてしまうと考え、無理に起こして大泣きする中を強制的に着替えさせる。泣いていてもテーブルに着かせるとそのうち落ち着いて、唯と無邪気に話し始めるので、要は切り替えるきっかけが必要だったのだと思う。尤も俺はこれから出勤し、通園班に交じって園までの長い道のりを歩かせるのは、また相当の忍耐と工夫が必要だろうが。朝食は昨日の鍋の残りにうどんと卵を落としたもの。
日曜に大会があるというのに、部員のH本は何も確認に来ない。また直前になって風邪ひいただの腹痛いだの言って休む算段だろうか。普段の練習に付き合っていない分、モチベーションが下がってしまっても無理はないのだが、たまの大会や合同練習すら参加しないでいると、活動実績が作れない。一応毛布を車に積み込み、遠征の準備をする。見かけたサッカー部のN先生に「どうしたんですか家で使うんですか」と言われてしまう。既によっぽど部活に縁遠い人間だと思われてしまっているのか。
家に帰り、母子がレッスンから帰ってくる間にピザを焼く。今日は俺が職員会議のため送迎ができず、A子に行ってもらった。相変わらず食事時になると眠いとぐずる唯・和子。冒頭のパニックゲームの感想は、夕食準備をしながら二人を席に着かせつつ頭に浮かんだ感想。もう唯が生まれて6年になろうとしているのに、相変わらずぐずり声を聞くと焦燥感に駆られてしまうのはどうしたものだろう。風呂に入れ、やっと「トイストーリー3」を最後まで見る。シリーズ最高傑作であることは明白だろう。しかしおもちゃと持ち主との幸福な別れって、どんな形が理想なんだろうね?