いよいよ唯のピアノ受賞者コンサート当日だ。A子は朝から気合を入れてサンドイッチを作っている。俺は祈のお粥を作り、食べさせる。A子はピアノ練習をさせた後、上二人を連れて唯の髪をセットしに美容院へ。俺は祈とテレビなど見て過ごす。我が子ながらピアノ関連となると正直人ごとに思え、母子の(まあ殆どA子の)切迫感を共有できない。5歳児の演奏なんだし、見る方もそんなに高いレベルを要求しているわけではないんでないの?

髪をセットされて戻ってきた唯、うわー何だか色っぽいぞ。アップにしてうなじを出すと、こんな幼児でも女性らしさが際立つね。最後の練習を階下で行い、和子は「気が散るから」と締めだされて、それでも今日は駄々をこねず大人しく二階で人形遊びをしていたのは、A子の本気モードを感じ取ったためか。唯の出番は15時の二部スタート時なのだが、いろいろチェックやリハーサルがあるらしく、11時半にはA子と二人で出立していった。俺は下二人とまたもぼんやりテレビを見て過ごし、14時近くなって和子を連れて出発。祈は悪いが親父達に預けさせてもらう。

コンサートは二部構成で、一部は銀賞・二部は金賞の各受賞者が部門別に出場する。唯は一番小さいA部門だから二部の初っ端だ。一部の後半から会場内に入ろうと思ったが、唯の課題曲と違って年長者は一曲一曲が長いので、和子が静寂に耐えられないのではと心配になりしばし外で待つ。慌てて来たのでチケットを忘れてしまったが、唯の親ということで入場を許された。5歳児の顔パスに頼っている保護者というのも情けない。図書室などで時間を潰し、いざホール内に入ると、その張り詰めた緊張感の漂う空気に圧倒される。ちょっとでも物音をたてると告訴されるのではと思われるくらい。曲の間に中に入り、その場で静かに一曲待ち、また合間に客席に進んでやっと着席できた。まるで「だるまさんが転んだ」だね。

一般客の最前列に陣取り、一部と二部の間の休憩時間にビデオをセットしていると、和子がしきりに後ろを向いてニコニコしているので振り向くと、何とA子と唯が真後ろで待機していた。これまで「静かにしなければ」とばかり気を遣っていたので全く気付かなかった。ステージに向かう唯に「頑張れよ」と送り出すが、それまで客席で寝入っていたようで反応はいまひとつ。ところが場内が暗くなり二部開始のアナウンスがあって、名前がが紹介されて現れた唯は別人のように落ち着いて笑みをたたえ、しずしずと歩み出て礼をし、エレガントにピアノに向かった。へー、これまでの受賞者の演奏態度を見て自分もそれらしく振る舞わねばと悟ったかな。実に落ち着いて弾きだした曲がまた素晴らしかった。

唯は本当に本番に強い、と実感させられた演奏だった。俺自身、朝のいい加減な心構えであったことを反省させられる、堂々とした大人の風格を漂わせたステージだった。登場時には「かわいい~」と声が上がっていたが、演奏を終えて退場する時の拍手は一人前の演者に対する称賛だった。大したものだ。その後何人かの演奏をビデオに撮り、緊張感に耐えられなくなってそっと退出。ここでも「だるまさん」遊びのように何曲かに分けて出口ドアに向かわねばならなかった。義父の隣で聞いていた和子は、心配していたぐずりもなく、そのまま極めて大人しく聞いている。A子と一緒に帰りたいというので俺は一人夕食準備に帰らせてもらうことにする。

晩飯は切り出し刺身の漬けとろろ丼、白菜とベーコンのスープ。帰ってきた母子とテーブルを囲みジュース(俺は日本酒)で乾杯。唯も素晴らしかったが、和子の鑑賞マナーも立派になったと大いに褒める。しかし食後の今日のビデオ観賞会では、二人ともワーワー騒いで祈の歩行補助具に乗っかって大はしゃぎ。A子はステージ裏で待機していたので本番を聞けず、ビデオを楽しみにしていたのにうるさくて聞けやしないとお冠だ。これが数時間前までのレディーたちと同一人物かね?