母子はずっと実家で過ごしているため、今日も一人の朝を過ごす。月曜から弟一家が来るので布団を干しておきたいのだが、台風が去った今日もはっきりしない天気。今年は夏らしくスカッと晴れた日が少ないように感じる。水筒に麦茶を詰めて合同練習へ。I先生やコーチたちに頭を下げて昨日の欠席を詫びる。もちろん笑顔で許してくれるのは、端から俺の存在などあてにされていないから。今日もじっと脇で練習風景を見つめる時間を過ごす。午前3時間、午後3時間…もちろんボーっと立っているだけではなくて、プールサイドで声をかけたりタイムをとったりはするのだが、正直俺がいてもいなくても練習に何ら関係ないという実感は強い。

練習を眺めながら、何故か何度も頭に浮かんでくるのは、先月末の大阪二児遺棄事件。とりたてて詳しく知っているわけでもないのだが、母親に見捨てられてゴミと熱気の狭い室内で死んでいった二人の心境を思い、何度も胸をかきむしられる衝動に駆られる。辛い気持ちを何度も反芻するのは、虫歯の跡を舌で触るような、一種の快感を求める本能だろうか、だとしたら俺はこんな悲劇さえも味わい楽しんでいるのだろうか、と自己嫌悪に陥る。でもやはり泣き叫ぶ幼い二人が、唯と和子の姿に重なって頭に浮かんできてしまい、そのたびに叫び出したいような恐怖心が体を襲う。

二人をA子と義姉に預けっぱなしで練習に参加しているからだろうか。それも指導者として重要な役割を担っているならともかく、ただ練習を眺めるだけで6時間を消費していることへの後ろめたさが、子供のネグレクト事件へと意識を向かわせるのか。これまで夏のこの時期、一日練習など毎日のように入れてきたというのに、今年は特に時間をもったいないと思う気持ちが強い。祈も生まれたばかりで人手が足りないことと、引き連れている部員が一人だけで責任感が薄まっていることが原因だろう。18時に午後練が終わった後も、プールサイドで長々時間を取ってのストレッチに付き合わされ、正直気持ちが焦れる。

と言って、練習が終わった後でF市実家に駆けつけるわけでもないのだ。今日はそのままうちで過ごすと伝えてあり、了承を得ている。結局はただ肩身の狭い合同練習の場から早く逃れたいというだけなのだろう。スーパーで買ったカツオ刺身・メンチカツ・茹でキャベツとソーセージで夕食。ちょっと炭水化物を控えてみようかと思っている。A子に電話すると、二人とも元気に過ごしているとのこと。ただ明日の夕方から夜にかけて義姉が外出してしまうので子供相手の手が足りなくなるという。I先生に言えば午後練を抜けさせてもらえるとは思うが、そこまで甘えることに強い抵抗を感じるのもまた事実だ。人間とは矛盾した生き物だ、って俺が身勝手なだけだが。