朝食は母子用にはシチューの残りとウインナー・レタス炒めにパンとし、俺は冷やご飯の茶漬けで済ませる。母子起きて来ず。新聞読む暇なかった。

LHRでは現社の授業で「友人に紹介したい作品」紹介をさせたところ複数の生徒が書いてきた「夜回り先生のメッセージ」がDVDで図書室にあったのでこれを視聴させる。水谷氏講演は実際に前任校で聞いており、その時も大層感動したものだが、徹底して生徒の側につき行動する氏の姿勢はやはり多くの生徒にとって救いの手を差し伸べてくれる存在と写るのだろう。「こんな先生に出会いたかった」等の感想を書いてくる者が多く、こんな担任で悪かったと答えるしかない。

ただ、氏の行動力やメッセージ力の確かさには大いに感服するものの、教員として理念を同じくするかと問われたら、首を横に振らざるを得ない。氏は「子供は可能性を秘めた種、将来に誰もが綺麗な花を咲かせられるよう、決して叱らず褒めて褒めて自己の可能性を信じられるようにしてやるのが教育者の役目」と述べる。俺は、社会自立する前の子供はある程度の強制力を持って社会規範やマナーを身につけさせねばならないと考えている。本来それは教育機関が専門的に受け持つべき分野ではないのだが、地域の連帯性や父権意識の崩壊した現代ではどうしても学校に躾の機会を求められてしまい、それに答えることも学校―特に公立校の社会的使命のひとつとして課せられていると認識すべきではないか。何より子供達にとって親の次に身近な大人として接する教員が、規範意識の未熟な子供をただ「褒める」だけで容認し大人社会へ送り出してしまうのは、何とも無責任な行為だと思えてしまう。

他者との関係性こそが社会の実態だとするなら、お互いに我慢や譲歩を積み重ねてこそ社会は維持できる。むろん暴力や虐待は論外だが、子供の反発を恐れず毅然として善悪の基準を指し示し時に強制力を持って従わせる、その言動こそ教員と言うより「子供に身近な存在の大人」として果たさねばならない社会的責務ではないだろうか。

何だか難しい事を書き連ねてしまった。あまり原則論に踏み込むつもりはないのだが。北部の温水プール指導を終えて19時前に帰宅、夕食は漬け丼と根菜汁。唯も比較的よく食べたが、なんと言っても和子の食欲の旺盛さには恐れ入る。小さな体で茶碗2杯以上はある粥をぺろりと平らげ、まだ足りないと泣く始末だ。もともと小さい体なので欲しがるだけあげてよいという指示を産院から受けてはいるが、あまり食べ過ぎて肥満体質になってしまっても後々に本人が苦労するのではないかと、女の子だけに親としても悩むところだ。