わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。(ヨハネの福音書15:1-4)

 

ハネの福音書15章は、イエスが「ぶどうの木」のたとえを通して弟子たちに語った場面です。イエスは「私はまことのぶどうの木で、父は農夫です」と言い、弟子たちを「枝」に例えます。この章の中心メッセージは、イエスにとどまることの重要性です。彼にとどまれば実を結び、離れれば何もできないということ。また互いに愛し合うことを命じ、友のために命を捨てる愛を示すことを強調しています。

 
 
 

それは、イエスとの密接な関係を保ちながら生きることを意味しています。信頼し、彼の教えに根ざし、日々の思いや行動が彼の愛や真理から切り離されない状態です。つまり、イエスとの霊的なつながりを保ち続け、その導きに従って歩むことを示しています。

 
 

ヨハネ15章は、イエスと弟子たちの関係を、ぶどうの木と枝にたとえて示します。イエスは「私はぶどうの木、あなたがたは枝」と言い、枝が木に繋がっていれば実を結ぶように、弟子たちもイエスにつながっていれば豊かな実を結ぶと語ります。まるで、庭師が枝の余計な部分を剪定し、より多くの実をつけさせるように、父なる神が私たちを整えてくださるというわけです。

この章は、互いに愛し合うことも強調しています。たとえば、一本のぶどうの木に多くの枝があれば、互いに養分を分かち合いながら一緒に実を結ぶように、私たちも互いのために生きることで、神の愛を実現していくのです。

また、イエスは友のために命を捨てる愛を示し、それが最高の愛だと教えます。つまり、ただぶどうの木に繋がるだけでなく、私たちが互いに助け合い、支え合うことで、イエスの愛が広がっていくのです。

結局、ヨハネ15章は「イエスにつながり続け、互いに愛し合う」ことの大切さを教えています。それは、しっかり根を張ったぶどうの木が、季節ごとに豊かに実を結ぶように、私たちの人生も愛と信頼に満ちたものとなるのです。

 
 
 

あなたの神、主を愛し、心を尽くし、命を尽くし、力を尽くして主に仕えよ。(申命記6:5)

 

互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも愛し合いなさい。(ヨハネ15:12)

 
 
 

愛する神よ、あなたが私たちに教えてくださった愛に感謝します。どうか私たちがあなたにとどまり、互いに愛し合う心を与えてください。あなたの愛によって、私たちの歩みが実を結びますように。イエスの名によって祈ります。アーメン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

a.