生活習慣とは恐ろしいもので、今朝も夫に2つの小言 ? を言いました。朝起きたら寝室のカㅡテンを開けること、朝シャワㅡしたら、お風呂のドアを開けて湿気を逃すこと。こんなことが習慣化されずに注意を受けることになります。私が一番呆れるし腹が立つのは「玄関の靴」です。脱ぎっ放しで、私だけ毎回、靴並べをしています。(現在5人家族) 韓国は靴を脱いだら履きやすいように直す習慣がないようです。

 

話は変わって、春になれば蛙の鳴き声、秋になれば虫の鳴き声、それらが季節の雰囲気をかもし出して、私はとても好きなのですが、日本人には当たり前のようでも、かなりの人たちが「雑音」 「騒音」と感じるか「無視」あるいは「無関心」なのだそうです。

 

 

“神様を感じる” という高尚かつ自然な現象とも言えること... 頭ではいくらでも学べます。知識はあった方が良いでしょう。でも、この “神様を感じる” ことに関しては、霊人体の純度、質の良さ、善き霊的学びと霊的習慣などが大切な気がします。これらは肉眼では見えませんが、毎日の生活習慣に現れると思ってよいと思います。

 

生活が信仰。

時間主管。

万物主管。

為に生きる・・自分の靴を並べることも、配慮なのでは ? ! 生活を見直しましょう。

 

 

 

 

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