* パイオニアカフェの記事を翻訳
《 食口たちは心の準備ができていると・・。
私の考えとは、ちょっと違うんですね。
私が会った食口は、ほとんどが真実に対面することを不快に思っています。
その真実の終わりに誰も避けることができない「責任」が出てくる可能性があるからです。
討論文化、良いです、良いです。
何の大会をしたいのではなく、本当に真実を知って責任を持ちたい心の準備ができていれば率直に言って、どこでも関係ないと思います。
それがシンデウィカフェでも、ここでも、教会の前庭だとしても何の関係があるでしょうか?
今までそれができなかった理由は、場が無いのではなく、
食口のほとんどが、自分は徹底的に傍観者であることを願ったからだと思います。
つまり、このすべての複雑で深刻な問題と自分とは、ある程度の距離を置きたい、その気持ち。
それから直接責任はなく、入れ知恵は置きたいし、一言加えながら進歩的なふり、あるいは信仰的なふり。
真実ですか? 真実は、どこか遠くにあるというのでしょうか?
あちこち少し見渡しても全部見えます。
あえて言えば、できない理由がひとつもないのに、しないだけです。
今の統一教会人たちは、一部のクリスチャンが “イエス天国不信地獄” であるように
“真の父母天国不信地獄” としながら、生涯そのように生きる人たちです。
そうしない人たちは、とっくに離れたでしょう。どこへ行くにしても。
私が、あまりにも冷笑的なのでしょうか? 》